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暴走が止まらなくなった橋下知事(下)
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前回は橋下氏の政治手法について、その根本の問題を考察しました。原点に戻って何が問題かを認識しておかないと、彼の煽った言動に多くの人がフラフラと揺らいでしまうかもしれないと懸念しています。私は大阪市民でも府民でもありませんが、関西圏に住む者として、橋下氏が世の中に与える影響力は実感しますし、それだけに間違った方向に向かうことを見過ごすことはできないのです。

もっとも、「やらされ」で良いんだ、自分も「やらされ」まで追い込まれないとやらないのでこれくらいでよい、と考えて橋下氏を支持するのであれば、それはそれで一つの考え方になるでしょうし、尊重されなければなりません。そこまで考える人の割合が多数なのであれば、筆者もある意味それを受け入れその中で(遺憾ですが他人を不幸に蹴落としてでも)勝ち残る方法を考えるしかないでしょう。

しかし問題なのはそこまでの覚悟をしている人はごく少数と思われ、有権者の約4割は、「なんとなく」支持している層ではないかということです。その背景をもう少し探ってみましょう。

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1.橋下氏の人物像イメージで「なんとなく」
「橋下さんならなんとかしてくれそう」「結構男前やから好きやわー」という感じでしょうか。大阪維新の会が進める区民会議がよい例ではないでしょうか。報道によれば、参加者の大半は政治に関心があるのではなしに、「橋下氏に会えるから」会場に来たという感じで、その内容もさながら橋下氏によるトークショー。こうした意識には、住民自らが政治を動かしていくような考え方はみじんもなく、「流行病」の自覚もなく、口をパクパクさせて”エサ”を待っているだけです。

2.国に逆らうことの美学
首相が1年で次々に変わるなど、国が弱体化してきました。政府の反対のことを言っておけば「そうだそうだ」と言ってもらえるご時世です。震災・原発対応がまずいからと言って、それに負けず劣らずそれ以上に怪しい大学教授の言うことの方が圧倒的に信用されるくらいです。世の中に閉そく感が漂っている中で、国などの権力に逆らうこと、何でもよいから大胆に変えてしまうことが美学という風潮さえあります。これらの背景から、国政の既存勢力とは異なる地方初の独自色の強い地域政党が力を持ってきているのです。例えれば、戦国大名が日本転覆を狙って準備を進めている状況とでも言えましょう。
一方、こうなってしまったのには腐敗した既存政治勢力という面も当然あります。有権者の多くはもはや、改革のあるべき姿を知らない状況にあるのです。だから、改革改革と叫んでおけば、現状を打破して何かしらバラ色の将来につながると錯覚してしまうのです。既存政党には不信の目で見られていることを自覚したうえで、信頼回復のためにも「これこそが改革」というものを出していただく必要があります。
もちろん、あるべき改革が行われ理想とする世の中へのベクトルが一致するならば、筆者としては劇的な変化は大いに歓迎ですし、国の体制が変わってもかまいません。しかし現状は、もやもやとした不満があるから、単にその逆のことを言っているだけにしか見えないのです。こういう世の中だからこそ、地に足をつけてよりよい姿とは何か真剣に考えていくべきです。それが遠回りに見えて解決への近道になり、それを実行することが真の改革になるはずです。

3.政治の娯楽化
ここ20年くらいで政治が頻繁にワイドショーなどで取り上げられ、政治がショー化、劇場化、娯楽化してきました。自分たちの暮らしにかかわることが決められるにも関わらず、それはまるで人事です。この状況下では、粛々と政治が行われることは仮に内容が良くても評価されません。むしろ、混乱し次々と面白い出来事が起こる方が支持されてしまうのです。そして、善し悪しではなく、「スカッ」とする施策を求めるのです。
橋下氏はその意味で、平松市長や関電との非建設的なバトル等でネタを作り、住民の意見を代弁とばかりにスッキリさせてくれます。しかしそのスッキリ気分爽快で何が変わるのかをしっかり見ていくと、特に最近の内容は中身に乏しく、周囲との対決そのものが無駄に見えてくるはずです。昨年までならば、半分でも中身が伴っていたように感じます。

4.上記事象が高じて、盲信的信者に
これは少数派かもしれませんが、人を信じ切ってしまうと、ともすれば本人が一言も言ってないことをさもやるかのごとく勝手に解釈し、それが支持理由になってしまうというものです。ネット右翼の中には「在日や生活保護の連中を排除してくれるなら」とか言っていますが、橋下氏は一言も言ってません。色眼鏡で見ることにより、ありもしない施策が登場し、さぞかしやってくれるかのごとく思いこんでしまうのです。
多少の想像は全否定するものではありませんが、思い込み一点集中で判断し欠点・デメリットに目をつむることに繋がってしまうと、これは大いに問題です。「恋は盲目」という表現が当てはまるかと思います。多数派ではないかもしれませんが、本当にあり得る話です。
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上記のことを考察しましたが、それらの軽い考え方で支持したり投票先を決めるのは、次こそは後がないと考えなければなりません。前回書きましたように、大阪の政治のみならず、世の中のあり方(日本全体)を決めうる選挙です。大阪以外の人も他人事と単に煽ることはすべきではありません。「やって失敗した方がマシ」「やりすぎた分は後で軌道修正すればよい」などと安易な考え方も禁物です。失敗したら取り返しがつかないほどの傷になると認識すべきです。
幸か不幸か、その手法の異常さはすでに顕在化しており、それになんとなく気づいている人も多いと思います。おかしいと思うなら今こそ止めるべきです。是認されればこの程度で済むとは思えません。法律の範囲という制約条件があるからこそこの程度で済んでいるのです。もし権力拡大で憲法や法律による縛りがなくなれば、もっと強権的な手段に出ていることでしょう。そうでなくても今回の選挙で是とされれば、手法はより一層先鋭化し、混乱に拍車がかかるのは目に見えています。
「なんとなく」選んだ有権者がその結果に責任は持てないでしょう。

違法行為是認者の竹原阿久根前市長、財源なき減税を民意だと主張する論理破綻が明白な河村名古屋市長よりかは多少レベルとして上であることは認めます。しかし、このままでは「合法的独裁帝国」が完成し、半数の住民が不幸に感じるというリスクを改めて指摘させてください。そして橋下氏は竹原氏を「心から尊敬する」と言ってはばからなかったことを認識したうえで、しっかり考えて投票いただくことを切に願い、この記事をひとまず締めくくりたいと思います。
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テーマ:地方自治 - ジャンル:政治・経済

暴走が止まらなくなった橋下知事(中)
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9月17日、「ハシズム(橋下主義)を斬る」というテーマで第1回の市民集会が開かれました。橋下氏が多用する敵を作り上げて批判することにより自身の支持を得る手法の何が問題なのか、なぜ支持されるのか、大学教授や精神科医による講演、ディスカッションが展開されました。「おかしいぞ」と思う人が一定数いることにホッとする一方、「おかしいぞ」と思う輪をもっと広げていかねばなりません。

今一度、原点に立ち戻って何が問題なのか考えてみましょう。「なれあい政治はもうごめん」「膿を出し切るにはこれくらいしないと」と考えておられる皆さん、それはご自身やご家族・お子さんが何ら関係ないと思っているからそう思えるのでしょう。「どんどん改革をやってもらいたい」と思っている人も、自分の上司や先生になってほしいかと言われれば、「それはどうかな…」となりませんか。もしそうだとするなら、自分がされて嫌なことを他人なら良いとは何と身勝手なこと、と反省を促したいと思います。

なれあい政治をやめなければなりませんし、膿があるなら出さねばなりません。ご自身自らが改革を迫られる状況になった場合に、どんな手法だったら良いか考えてみましょう。悪い状況の認識共有をしたうえで、解決手法に「納得」したうえで、自分自身が「やらねばならない」と自発的に動き出す姿があるべきと考えます。今までの民間企業で改革に成功してきた経営者は、ほぼこの要素を含んでいると言っても過言ではありません。
一方、議論を尽くさず多数決でやり方を決め、「やらされ」で動いている人は成果が上がるでしょうか。意思決定までのスピード感は確かにあるかもしれませんし、もちろん仮に一時的に緊急手段としてこの手法で乗り切ることはあり得るかもしれませんが、これが目指す姿になってはいけません。

その意味で昨今の橋下氏の手法は、この「やらされ」を職員や教員に条例として強要するものです。その中身はそれなりに理にかなったものかもしれませんし、部分否定はされても全否定はされない内容です。ですが、この手法では仮に内容が良かったとしても狙った成果が期待できません。
その成果を出さないと処分対象となれば、無理にでも成果につなげねばなりません。皆さんはどうしますか。「ズル」をするか、成果に関係のないものは必要であっても「見捨てる」ことを意識的・無意識に関わらず考えてしまいかねません。それを職員や先生に「やらせる」ことを是としますか。それが問われているのです。

もっと大きくとらえましょうか。この手法を是とするか否かは、今後の世の中全体の方向性にまで影響を与えるものと考えてください。もしこの政治手法が是とされたならば、皆さんの価値判断もこれが是とされているということです。人間関係の中においても、異なる意見を議論もなしに「排除」する殺伐とした行為が当たり前になるでしょう。学校や会社の中でも、反対する者を処罰するだけの「やらされ」が普通に行われることでしょう。
よろしいですか、橋下氏は世の中のシステムを変えようと言ってるわけです。上の方だけでごちゃごちゃ行われるだけと思ったら大間違いです。大阪だけでなく日本全体への影響力があるわけですし、我々自身の生き方をも問われていることを肝に銘じたいものです。

そして「やらされ」の結果は、中身がそれなりなものであれば、とんでもないことにはならないでしょう。しかし、施策に不満を持つ人にとっては、限りなく不幸と感じることでしょう。しかも選挙で半数の民意が切り捨てられる以上、住民の半数は不幸になりえます。大半の人はボチボチと、そうでない人もそれなりに…が現状とすれば、全体としては悪化につながる恐れがあります。

「必要なのは独裁」と言い、先日もテレビ番組で「大阪国を作る」などと語っていた橋下知事。「独裁の何が悪い」と言わんばかりですが、答えは明確です。「やらされ」により思った成果が上がらず弊害が生じること、そして世の中の半数が不幸になることを是とすることが悪いのです。

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暴走が止まらなくなった橋下知事(上)
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これまで当ブログでは橋下大阪府知事について、個々の施策に関して是々非々で論じ、全体的には高く評価してきました。
・過激な発言などもあるが、全体としてはプラスに働いている。そうなるバランス感覚がある。
・相手に善処を求める際に必ず見返りを用意する。
といった前提があったためです。「竹原氏を心から尊敬している」などと発言した際には、一方で「大阪ではそんなことはできない」とも語り、筆者としては無責任な放言と批判しつつもリップサービスの一環なのだろうと思っていました。

しかし、それが彼の目指す姿だったとは…、正直がっかりしますし、それを見抜けなかった筆者も反省しなければなりません。そして、今こそ暴走を止めなければなりません。

では、何が問題なのか。最もポイントになったのが、統一地方選で大阪維新の会が過半数を取った後の府議会で、十分な議論もなく議員定数削減を強行可決してしまったことであり、これは「実害」です。さらに、教育基本条例や職員基本条例をぶち上げ、ポピュリズムに訴え、「大阪完全制覇」を虎視眈々と狙っているのが見え見えです。

議員定数については「私の信念で半数」とか言うええ加減なものではなく、「10万人に1人」という根拠を出している点は評価できます。確かに、必要な定数より多い分は減らせばよいのです。ですが、選挙が終わったばかりの府議会で、なぜ4年後のことをかくもあっさりと決めてしまわなければならなかったのでしょうか。少なくとも、深夜にバリケードを突破してまで採決する必要はなかったはずです。橋下氏の手法として、「やるぞ」と良い意味での脅しをかけて相手を動かすことは品格はともかくあり得る手法と思っていましたが、本当に「実力行使」してしまってはやりすぎで毒の方が強くなります。

議員定数と同時期に可決した君が代条例も内容は悪いどころか、規則である以上、「学校の先生もルールは守れ」と言うのは当たり前です。社会的な常識から考えても妥当性のあるものであり、最高裁判決でもそれを容認するものとなっています。筆者が問題にするのはその是非ではなく、嫌々やらせてそれで満足なのかということです。これは私たちの学校で、職場で、自分にとって納得できないルールが決められて罰則をちらつかせられたらどう思うかという観点でよく考えたいと思います。逆に言えば、上に立つものが規則や罰則を強化する際には、理解を得る説明を粘り強く続けることや規則を守ることによるメリットなどをセットにするなどの配慮が必要なのです。昨年までの橋下知事にはそうした見返りをセットにする様子が必ずと言ってよいほど見られましたが、4月の選挙後は単なる強制押しつけが目立ってきました。維新の会が過半数を取るまでに必要だった「したたかさ」は影を潜め、ただの「道楽」になり下がってしまったのです。

さらには、節電を巡っての発言の迷走も大問題です。脱原発に消極的な関西電力を気に入らないのは分かります。しかし、関電が節電を呼び掛ければ「原発が必要だと脅迫している」と言い、8月初旬に今夏の電力需給の目途が立ってきたとの見通しが発表されたらされたで「節電しないように油断させようとしている」とはいったいどういう神経をしているんでしょうか。これでは、「ねえちゃんとおふろはいった?」のひっかけ質問と同様、YESでもNOでも批判するということであり、脱原発に向かうか関係なしに関電を批判することが目的化してしまっていると考えられます。どうやっても叩くネタにするのは卑怯者のすることです。
挙句の果ては「府庁は関電から電気を買っていないのだから節電しなくてよい」発言です。「節電して余った電力を関電に売った方が建設的」という府幹部の助言で撤回はしましたが、これまで保ってきたバランス感覚が崩れていることの証左にほかなりません。

これだけおかしくなりつつあるなら支持率もさぞかし下がると思いきや、8月の世論調査では横ばいを維持しました。筆者としてはせめて最低限「何かがおかしいぞ」とは感じてほしいと思いますし、そこを出発点に何がおかしいのか、橋下知事が目指そうとしているゴールは何なのか、それは我々が望んでる世の中の方向性と一致しているのか、それで課題が本当に解決するのかを、他人事ではなしに自分のこと、世の中全体のことと捉え、”真剣”に”本気”で考えて、支持の是非をよく見極めていくべき段階に来ていると思います。うがった見方をすると、権力の座を拡大するために、「ここまで強引にやってもまだ大丈夫か」と住民の反応を見ながら、ジワジワと強権的手法を多用していくのを是とする世の中を目指すようにも見えます。

この問題、次回も引き続き考察していきます。

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何かおかしいと思いませんか(脚色あり)
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(拍手と歓声で出迎えた後、)
「お辛い思いをされましたね。でもその方の分までしっかり生きてくださいね。」
「ははあ、ありがたいお言葉、一生忘れません。」
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(余計な人が来たような眼で睨みつけて出迎えた後、)
「この度は、お辛い思いをされましたね。」
「せっかく来てくれたのは良いけども、何しに来たんですか。」「我々の要望をどこまで聞いてくれるのか、甚だ疑問。」
(30分後、これ以上いても迷惑がかかると思い)「それでは、今日のところはこれで失礼させていただきます。」
「ええっ、もう帰るんですか。ガス抜きで終わらせるつもりかい!」
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(有名人が赤ちゃんを抱っこしている)
「キャー素敵~!私も抱いてもらいたい!」「子供も喜んで、本当に和んだ1日でした。」
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(土下座で床に頭をこすりつけながら)
「ご不便、不自由をおかけし、誠に申し訳ありませんでした、すみませんでした。」
(腕組みをして仁王立ちで見下ろしながら)
「今まで安全と言ってきたのは嘘だったんですか。嘘だったんですか!!」
(今にも蹴飛ばしそうな勢いで)「答えろボケ!!」
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A:これって同じ場所であった場面とは思えんな。
B:まあ、それぞれ人も違うし、事情もあるから仕方ないけどね。
A:確かにガス抜きで終わらせてはいけないとは思うよ、でもあれではひとまずガス抜きしてからでないと、話できないんとちゃう?
B:まあ、それが結局は解決を自ら遅らせていることにもなるね。
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「皆さん、自転車をご用意しました。1人1日3時間お使いいただけます。」
「おお、これは助かる。わしは遠いところにも出かけるんで、3か月ほど借りっぱなしにしておきたいんじゃが。」
「いや、皆さんお使いになりますので、それはご勘弁を。」
(胸ぐらをつかんで)「わしらは家もないんじゃ。困った人の要望を聞くのが行政の役割ちゃうんか、ナ、ナ、ナ!!」
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「皆さん、靴が届きました。」
「俺はアディダスでよろしく。」
「アディダスはちょっとないのでご勘弁を。」
「アディダスと指定して取り寄せてくれ。俺はアディダスじゃないといやだ。」
「そんなことおっしゃられても…。」
(胸ぐらつかんで今にも殴りそうな格好で)「何だと!言うこと聞けねえのか!!だから役所仕事はダメと言われるんだ!」
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「車買うから金が欲しい。とりあえず100万よこせ。」「住宅は内風呂のあるところでよろしく。要望を聞くのが行政の役割だろ。」
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A:何かおかしくなってきたね。なんだかクレーマーかモンスターだな。
B:うーむ、でもよく考えてごらん。おかしくなってきたというよりかは、あれだけたくさん人がいたら、中には元々そういう人も一定数いるということでは?
A:まあ、それは言えるかもね。そういう素地のある人でも、最初のうちはさすがに我慢していたけどそろそろ限界で正体が…ってところじゃない?
B:そうだねえ。当事者じゃないと分からない、やり場のない怒りとかもあるだろうから、私たちがあれこれ言うことじゃないとは思うけど、真面目な人の足を引っ張らないか、それは心配…。
阿久根市、法令順守と正しい現状把握を
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市長と市議会両方がリコールされ、出直し選挙が行われた阿久根市。市長選では西平氏が激戦を制し、市議会では反竹原氏派が過半数を確保し、竹原氏の政治手法にひとまず幕を下ろした形となった。
これからは西平市政のもとで混乱を極めた阿久根をどう立て直していくのか注目されるところだが、それにあたり留意しておくべきことを整理しておきたい。

●法令順守は最低限の責務であることを市民に教育する
法律を守ることは役人の趣味でも何でもない。最低限の責務であり、社会から必要とされるためには必須である。と、そんな難しいことを言わなくとも、人の上に立つものが率先してルール破りをしていることが、世間からどう思われるのかを考えれば自明のことである。
今回、竹原氏派が連敗する形になったとは言え、多数の市民が竹原氏の政治手法を是認、もしくは一定評価している構図は変わっていない。「法律から市民を守る」などと戯言を述べる竹原氏を信じる人が半数近くいて、議場の鍵閉じ込めと暴行を働いた竹原氏派議員が上位当選するという、少なくとも外から見たらありえないことがまだ起こっているのである。これでは、西平市政の行方如何によっては、反社会的手法が再び支持多数となる可能性を残していることになる。西平市政の否定はあってもよいが、それが竹原氏の政治手法肯定とイコールになってはならない。
阿久根市は言うまでもなく、日本の一部であり、鹿児島県の一部であり、周りとの関わりなしには存在しえない。「市民のため」と称し、社会に有害な行動が是認されることが万に一つもあってはならない。社会に貢献することが、ひいては市民のためにもなっていることが必要であり、必須である。
このことを、まずは西平市政が市民憲章などで宣言し、当然市役所内や議会にも求めたうえで、市民に教育し、市外にもアピールしていくことが強く望まれる。市民を巻き込んだ意識改革が必要である。

●正しい現状把握をもとにあるべき方向を目指せ
改革と言っても「何をどのように」が大切である。市の発展もしくは現状維持で良いとするか、あるいは竹原氏の理念である全員貧乏を目指すのか、それはまさしく市民の判断に委ねられることであり、筆者としても尊重したい。
が、その前にそうした目指す市の方向性が、正しい現状把握のもとに行われることを望みたい。
ネット上では、「市民の平均年収200万、市役所職員の平均年収は700万」「人件費が税収を上回って赤字に違いない。(竹原氏が敗れたので)これで第二の夕張確定」などと、竹原氏の偏った情報の出し方に翻弄され盲信した揚句、さらに竹原氏自身すら言ってもいない”赤字”だの”第二の夕張”だのという尾ひれまでついて流布されている現状がある。
まず市民年収については、勤労者の所得を赤ちゃんからお年寄りまでの市民全体の人数で割り算しているため、異常に低く算出されており実態を正確に表していないという指摘が、当初からある。人件費が税収を上回っていても、市の財政としては地方交付税交付金などで補われ、竹原市政の前から黒字であった。もっとも、竹原氏が財政再建をしようとした痕跡など一つもない。彼が目指したのは官民格差是正(市民全員が貧乏になるという意味での)である。
こうした誤解によって間違った現状把握がなされたままでは、正しいアクションに繋がることは極めて難しい(偶然ならあり得るが)。少なくとも、財政再建のために竹原氏のカムバックを期待するようでは思い込みと勘違いの上塗り状態である。西平市政は、まずこうした誤った認識を払しょくし、正しい現状把握ができるように、適切な情報を分かりやすく提供して、市民を啓蒙していく必要がある。そして正しい認識を共有したうえで、何をどのように改革するかを議論していくのである。

社会の中で必要とされる阿久根市になること、正しい現状把握のもとに目指すべき方向性を議論する、これがやるべき改革の第一歩と考える。

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大震災、「無責任な批判」よりも「責任ある提言」を
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3月11日に発生した東日本大震災。地震だけでなく津波で街・港・田畑が流され壊滅的な災害となってしまい、さらには原発トラブルの問題も抱えるという、極めて厳しい状況に陥った。東日本の海岸が戦争で爆撃を受けたかのような悲惨な姿である。

でも、避難所では自主的にルールを決めて整然と夕食が振る舞われる状況や、ボランティアによる支援、そして全国から多額の義援金が集まるという様子をみると、この苦しい中で懸命に生きそれを助けようという気持ちの素晴らしさに感動を覚えた。さらに海外からも日本へのお見舞いや応援のメッセージをいただくなど、大変ありがたいことである。

一方でこの記事では別の見方をしておきたい。
まず日本人の場合、あるシビアな状況におかれた場合に「力を合わせて」「心を一つに」という良い連帯感で立ち向かっていけるだけの実力を持っている。ところが、これが何カ月・何年という期間に及んだときに「熱しやすく冷めやすい」日本人の悪い特性が出てきて、それがねじ曲った方向に向かうことも懸念される。

被災地では、テレビには映らないだろうが、長引く避難所生活の中で喧嘩の一つや二つあっても何ら不思議ではない。極限ともいえるストレスの中で、無理もないことだろう。
家屋などの被災はしていないものの計画停電や節電を求められている関東地方の方々にとってはどうか。こちらは微妙なところだ。これを機に節電生活に慣れ、生活に工夫をしていくような人もいるだろう。
一方で不自由な生活への不満が政府や東京電力に向かい、政府と東電を悪者にしておけば”鬱憤晴らしでスッキリした”となるという風潮も散見される。しかしこれだけでは、世の中の足を引っ張るだけであり、何の解決にもなっていない。

海外からの温かい支援も、数カ月は続いたとして、そこから完全復興するまで応援し続けてくれるかと言えばそれは期待できないだろう。むしろ、日本がどのように立ち直るのか、立ち直れるのか、世界中からいろんな意味で日本の行方が注目されることになると思われる。
我々はこのような環境の中で、どのようなマインドセットを持てばよいだろうか。

筆者が最も申し上げたいことは「責任ある提言」をしていくことである。
政府や東電の失点に対する批判は免れない面も多々あってしかるべきだが、合わせて現実的・建設的なな提言をしていくことが大事である。

具体的事例を見ていこう。
3時間ごとに一定エリアを停電させる計画停電。連続稼働が必要な工場にとっては死活問題になりかねない。そのときに「計画停電はけしからん。だいたいからして東電が津波対策をきっちりやり、政府の初動対応が正しければこんなことにならなかった。だから強く抗議する!」と、これだけでは何の解決になろうか。でも次のようにすれば一歩でも二歩でも前進する。例えば平日に産業界ごとに休日を設定し、平準化することで計画停電を回避する方向で調整される動きがある。このように自ら手法を考え可能な範囲で調整し、政府や東電を動かしていくことが大事である。

次は無責任な事例。「2週間たっても被災地に来ない」と言っておいて、来たら来たで「何しに来た?たった数十分の視察で何が分かる?」とやっぱり批判。どちらを選択しても批判するのは卑怯者と言うほかない。批判のための批判、無責任な提言なら、一部マスコミによる醜態とレベルは変わらない。政府が視察に来たとしたら、来たからこそ分かる情報を持ち帰ってもらい、次の施策につなげてもらうことがポイントであることを忘れてはならない。「何しに来た?」では文句をぶちまけることが目的となってしまい、もはや政府の支援を頼らないとの覚悟があるときの捨て台詞に近い。
また、「信用ならん。隠している情報を出せ!」と言っておきながら、情報が出たら出たでパニックになり過剰反応で買い占めに走ったり差別的行動に出るのも無責任極まりない。厳に慎むべきである。情報公開を求めるなら、自らも情報を正しく解釈し正しく行動することとセットにしなければならない。

もうひとつ、最後の問題事例は「ないものねだり」。「一度に全てのことをやれ」的な非現実的な要望や、「過去にこうすべきだった」は一理あったとしても今現在もはや意味をなさないことを延々と連ねるような余裕はない。

これまでも地方自治で住民の参画意識について考察をしてきたが、まさしく今こそ、我々が本気で変わるべき時である。被災地と直接関係のない地方にまで影響が広がり、サバイバル戦にもなりうる様相の中で、そもそも政府や自治体の支援をお茶碗叩いて待つだけでは何も解決しない。我々から積極的に動けることを提案し、それにより実現可能な施策を引き出せるように動かしていく、この積み重ねが政府や東電のレベルを上げていくことにもつながっていくし、我々自身にとっても貴重な経験となり一体感も生まれ個々の人生にも活かされる。

無責任・非協力で言いっぱなしではない、そして国や自治体に頼るのでもない、我々自身ができること、動けること、提言できることをしっかり考えて社会や国を動かし変えていくことが大事だ。国や自治体が提案すべき事柄であっても、気付いた我々が提案しても構わないではないか。「責任ある提言」を是非意識、行動するようにしたい。
地方自治:禁止ワードから脱却しよう
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阿久根・名古屋などで揺れ動く地方議会、二元代表制。混乱をもたらしたのは首長なのか議員たちなのか。それを問う前に、そもそも彼らを選んだのは我々住民に他ならないことも現実である。今回のテーマは「禁止ワード」。筆者が見聞きするうえでNGと考える住民の発言を通し、あるべき地方自治の姿を追求したい。

1.「○○さんなら何とかしてくれる」
これは阿久根の竹原市や、国政では民主党の小沢氏に対してよく聞かれる。強引なやり方でも停滞せずに進めてくれるカリスマ性や剛腕への期待感が表れた言葉であるが、間違いの根源が実はここにある。
この言葉は言い換えれば、「○○さんに良いも悪いもお任せします」ということであり、「私は興味がなく参加しません」とも言っているのと同じである。この希薄な参画意識がもたらすのは、A.間違った方向に進んでしまっても、きっと良いことをしてくれているに違いないと信じ続けて取り返しのつかないことになるか、B.結果が出なければ手のひらを返して叩き落とす、という結果である。いずれも、自身がその人を選択した責任感がみじんもなければ、次に活かすことにも何らつながらない。
混乱する国政に「坂本竜馬が登場するのを待つしかないな」という街頭インタビューが聞かれたが、自分たちで事態をよくすることを考えるでもなく、ただひたすらスーパーマンの登場を願うという、まさしくこのダメダメ残念な思考法の最たるものである。

2.「議会が何やってるか知らない」
これは、議会が議論の内容や採決の結果をどこまで積極的に公開しているのかという問題もはらむ。しかし、議会だよりを読んだり、自治体のホームページで確認したり、少なくともメディアで報道されている内容をチェックしていれば、それなりの情報が出てくるにもかかわらず、「知らない」と言って議会を批判し、リコールに突っ走る住民が多い。名古屋市なんかはまさしくそういう住民が何十万人もいるのではないか。
言うまでもなく、情報は口を開けて入れてもらうものではなく、自ら取りに行くべきものである。普段馴染みが少ない政治に対して関心を持つことは容易ではないが、ならば知らないものを単なる印象だけで批判すべきではない。小鳥が「えさはまだか」と口をパクパクさせながら、親鳥の帰りをお茶碗叩いて待っているような、与えられ民主主義から卒業すべきである。
こういう人は仕事の様子を全く見ずして「公務員は楽して高給をもらっている」だの、「議員は居眠りしながらたまに議会に来るだけで我々よりはるかに高い給料をもらっている」などと言い放つことが多い。確かにその批判が当てはまる人もいるだろう。が、いつまでもそういう見方を続けていると、真面目にコツコツやっている公務員や議員は、いくら努力しても報われず十把一絡げに叩かれるだけで馬鹿馬鹿しいと、やがて愛想を尽かすことになり、結果として公務員や議員のレベルはますます低下する負のスパイラルが待ち受けることになる。自分で自分の首を絞める状態。そして、大騒ぎしていたずらに混乱させた人が勝ち組になる世の中が出来上がる。愚衆政治ここに極まれり。

3.「どうせ今まで二元代表制は機能してなかったんでしょ」
これは既存政党を批判したり、従来型の権力政治からの脱却がねじ曲がったときに生まれる発想である。つまり、今まで駄目だったんだからその反対を選べば良い方向になるのではないかという安易な考え方である。
高度成長を続けていた時代は、首長と議員と土建屋がグルになって私利私欲に走ったとしても、庶民にプラスの配分があったため、大した問題にはならなかった面もある。現代は逆にマイナスの配分をお願いせざるを得ない状況の中で、自ら身を削る首長がもてはやされ、庶民のためと称する独裁が容認されつつある。そしてまた、その結果として何らかの実害を被るようになったら揺り戻しで再びその反対に流れると。問題は、リスクを承知して独裁でも良いと判断して選んだのではなく、単に現状の嫌なものを一掃して目先を変えたかっただけという点である。
現状を「過渡期」と評する人もいるが、何が均衡な状態か、つまりはあるべき姿を今一度よく考えて判断しないと、アンバランスな天秤が延々と何度も上がったり下がったりするだけで、いつまでたっても均衡な状態にならない。実はこれこそが究極の無駄である。

4.「これが民意だ」
これは、民意が絶対的に正しいという仮定に基づく考え方で、選挙に勝ったほうが多用する。
民意は、その地域の住民の多数派が判断した一つの結果であるが、それが全て正しいかの如く扱われるのはいかがなものか。世論も同様である。
民意がもし、世の中のありとあらゆることをバランスよく考えて判断されるものであることが保証されるのであれば、民意絶対主義もありえよう。が、上述のように民意というのは現実問題論理性に欠け、極めて感情的・情緒的なものに過ぎない。言い換えれば、世の中の善悪は、何が正しいとか法律はどうなってるとかではなく、住民の好き嫌いによってのみ決まるということである。こんな考え方がまかり通ると、法律やルールを守るかどうかも住民の趣味で決めてよいことになってしまう。これでは秩序のある世の中を作れるわけがなく、むしろ今の時代があと30年で崩壊する懸念さえ筆者は持っている。
世論や住民感情を意識した言動は求められて当然の面も確かにあるが、一方で民意が本当に正しいのか、というものの見方も我々は意識しておきたい。それは我々自身に反省と進歩を促すことであり、そして政治だけではなく、より良い将来につなげていくために必要なことでもある。

テーマ:地方自治 - ジャンル:政治・経済

議会ごっこしましょう(注:フィクション)
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担任:さあ、みなさん。今日はクラス26人でゲームをしましょう。先生は職員室に用事に行ってくるから、役割分担を決めて始めておいてね。
B:じゃあさあ、市議会ごっこしない?
C:やろうやろう。面白そうじゃん。
A:ぼく、市長やる。議員やりたい人?
D:議員いやや。だって悪者やもん。
B:じゃんけんで10人選ぼう。
(じゃんけんの結果、B・C・D・E・F・G・H・Iの8人がいやいや議員になる)
B:あーあ、負けちゃった。ならば俺BとC・Dは市長派議員で決まり。残りは反市長派ね。
E:ぼくは議長やる。
B:選管は2人。やりたい人は?
(シーン…。じゃんけんの結果、J・Kが選管になる。)
L:私LとM・N・O君、P・Q・R・Sさんは投票する人。
T:そしたら俺とU・V・W・Xはリコールする人で決定!
Y:私YとZさんは投票とリコール両方の役!

市長A:オホン。ではでは、減税を提案します。
反市長派E:なんで減税せーなあかんの?
反市長派F:景気良くなるの?
市長A:ええい、理屈はどうでもええ。わしは減税をコーヤク(公約)に当選したんだから、市民に信頼されとるんじゃ。いちいち説明する必要はない。だいたいからして議会は反対ばっかり。こんなんで給料をたくさんもらうとはけしからん。議員報酬半減じゃ。
市長派B:市長の言うことは市民に良いことばかり。キトクケンエキ(既得権益)とやらを吹っ飛ばせ!
市長派C・D:そうだそうだ!
議長E:とりあえず休憩。
市長派B:ヌハハハ、閉じ込めてしまえ。
市長派C・D:妙案だ。これなら入れないから反対もできない。
反市長派:入れないし~。開けて~!
市長A:それでは議会を開けないので、センケツショブン(専決処分)するもんね。アッハッハッハ。

市長A:反対ばかりの議会はいらない。議会リコールだ。賛成する人?
市民T:ハイハイ!署名集めしまーす。U・V・W・Xの署名を集めたので計5人ね。
選管J:5人は有効数なんだっけ?
市民U:いいんだ。選管は黙って言うことを聞いておけ。出しゃばらずにシュクシュクとやってればいいんだ。
市民V:そうだそうだ。選管が議員の味方とはけしからん。
市民W:選管よお前は、私らの熱い気持ちが分からんのか。リコールの意思は最大限ソンチョウ(尊重)されるべきだ!

選管K:投票の結果、賛成5、反対2でリコール成立で出直し選挙をします。
反市長派:あーあ、次は落選かなあ。
市民T:俺は投票には興味ない。嫌だったらリコールするまでよ。
市民U:そうそう、だいたいからして議員をクビにするのは愉快痛快だけど、投票でまともに人を選ぶなんてオモロないし。

市長A:すべては絵図通りに事が運んでいるではないか。
市長派D:我々の企みに引っかかった反市長派どものアホ面がおかしくてたまらん。オッホッホッホ。
市長A:政治は所詮ゲーム。娯楽じゃ。市民を手玉にとって味方につけたほうが勝ち。ヌハ、ヌハ、ヌハハハ。今日は前祝いじゃ、飲め飲め。

選管J:選挙の結果、これまでと同じ人が当選です。
市民T:これはえらいやっちゃえらいやっちゃ。もう一度リコールだ!
市長A:ええい、市民に信を問うために辞職します。

選管K:選挙の結果、市長も議員も同じ人が当選です。
市民T:なんと。正義のためには何度でもリコールするぞ。
市長A:本当に信を得るまで何度でも出直すのだ。

選管J:選挙の結果、市長も議員もやっぱり同じ人が当選です。
反市長派:なんだかなあ。どうにかならんのか。
選管K:はい、市民の皆様の仰せの通り、制度にのっとってシュクシュクとやってます。

担任:あらまあ、面白そうだからと思って黙って見ていたら、4回選挙やって同じなのかい。ええ加減にせい、ドカーン。このようにして選挙ばかりで何もできず、市は滅びましたとさ。なんでこうなってしまうんでしょうねぇ。みんなで一緒に考えてみましょう。

全員:はーい。

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阿久根”市民”を選びますか、”犯罪者集団”になりますか?
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阿久根の問題について、当ブログではこれまで10回以上にわたり様々な観点で取り上げてきた。筆者がなぜここまで阿久根の問題にこだわるのかを鑑みると、やはりコンプライアンスを避けて語ることができない。

民間企業にとって何よりも重要なのは社会的信用であり、それは魅力のある製品やサービスを良い品質で提供することであり、経営基盤を強化し利益を創出して投資家の信頼を得ることでもあり、法令を順守し企業が継続的に発展することで社会に貢献することでもある
その中で法令順守は約10年前から重視されるようになった。前回まででも述べたように雪印による食中毒事故とその対応を巡って世間から痛烈な批判を浴び、それまで優良な業績を残していた会社の存続さえ脅かす状態となった。マスコミの批判報道で企業イメージが地に堕ち、一度の不祥事が何十年と培ってきた会社の信用をいとも簡単に失墜してしまうことを目の当たりにすることになった。他の会社の経営陣にとっても決して対岸の火事とは言えず、むしろ他山の石にしなければならないと肝に銘じることとなり、コンプライアンスという言葉が登場するに至った。

以降、法令順守は最低限の責務と社会で認識されるようになり、違法行為は社会やマスコミから厳しく批判されることとなった。また、違法行為とは言えなくても法の抜け穴を利用するような脱法行為やモラルに反するような行為も結局は長続きすることなく、カリスマ経営者たちが次々に表舞台から消えていった。
また、コンプライアンスは法令順守はもとより、万が一違反してしまった場合の対応についても定義されている。事実の把握が遅れ1日でも対応が遅れただけで、世間の批判は嵐となって襲いかかってくる。逆に経営陣がリーダーシップを発揮して、違法行為を是正し再発防止の仕組みを整備するのに動けば、不祥事のはずが信用をかえって増すことにもつながりうる。
民間企業が他の企業と取引をする際にも、こうしたコンプライアンス体制やCSR(企業の社会的責任)体制が確立されているかどうかが一つの大きな基準となる。違法行為の恐れのある会社と取引することは後に不良債権を抱えるリスクにもなり、また自社に落ち度がなくても怪しい会社と取引しただけで非を問われる懸念も生じるためである。以上は常識のある普通の企業が、当たり前の感覚として持っていることであり、逆にコンプライアンスができていない会社は、いかに良い商品・サービスを提供していようと、ビジネスの土俵から遅かれ早かれはじき出されるのである。

長々と前置きをしたが、なぜここまで説明したかと言うと、法令順守というのは民間企業においては必須事項であり、自分の好き嫌いや感情に任せて、都合の良いときだけ適用の是非を選択してよいものでは決してないことを読者のみなさん、特に学生の方や主婦層・高齢者の方に認識いただくためであった。

それを念頭に置いたときに、阿久根の現状は仮に市民の利益のためであっても、過去にそうしたくもなる背景があったとしても、到底許されることではないばかりか突出して悪質である。
第一に、コンプライアンス違反を故意に行っていること。違法という自覚がない状態でなされたうっかりミスであっても社会からは指弾され潰れていく会社が多い中で、阿久根の法令違反は故意に行われている点で既に特筆すべき状態にある。米国特許は侵害すると多額の賠償額になることで知られるが、故意侵害だと賠償額が3倍になる。人を死に至らしめた場合、うっかりなら過失致死、故意なら殺人になることからも、故意の悪質性が問われる。
第二に、コンプライアンス違反が継続的に行われていること。何らかの不祥事を起こした人は、通常はその1回限りであとはおとなしくしているケースがほとんど。そのたった1回の違反でも取り返しのつかない状態に陥る企業が多い中で、阿久根の場合は違法行為や脱法行為が繰り返し行われ、防災無線で演説するなどモラルに反する行為が日常茶飯事になっている。感覚がマヒし、悪いことを悪いと思わなくなっている。
第三に、コンプライアンス違反が是認・賞賛される風土があること。法律違反が指摘されれば直ちに是正に動くべきところ、「法律が悪い」「知事と戦うとは大したもの」と賞賛する住民さえいる。言わば、住民挙げての社会の法秩序に対する挑戦である。だから筆者は犯罪者応援集団と言い表しているのである。もし竹原氏が再々選されるようなことがあれば違法行為を是認する勢力が過半数となるので、犯罪者集団に格上げとなる。

阿久根では2011年1月16日に出直し市長選が実施されることになっているが、住民の皆さんには上記のことを自覚したうえで投票していただきたい。先日の住民投票ではその点、認識の甘さがかなり感じられた。リコールに賛成した人でも「専決処分は自分の好みではないので…」程度の認識しか持っていない人が多く、危機感が薄かった。
そんな軽い選択ではない。つまり、「社会で生きていくのに最低限の法令を順守した”市民”になる、というか市民に戻りますか」、それとも「社会全体や法秩序を敵視し、戦いに要するであろう無駄なエネルギーやお金を費やしてでも竹原氏を支援する覚悟はありますか」ということである。竹原氏は公務員や議会、自治労と戦うことにすり替えているが、そんな狭い話ではない。法秩序に挑み社会全体を相手に戦う以上、”犯罪者集団”として世間からはじき飛ばされる覚悟を持っていただかねばなるまい。

現在の阿久根はコンプライアンス違反によるイメージ低下と連日の報道で、血がダラダラ流れている状態である。そして竹原氏が市民に対して「社会全体のために犠牲を引き受ける覚悟」を求めている(ブログ記載)。文言はかっこよいかもしれないが、自分の考えを実現するために社会全体を敵に回し戦う覚悟のことである。昨年5月の選挙で当選した際の「選んだ皆さんに責任を取ってもらう」とはこのことである。
竹原氏の支持者住民がどこまでこのような反社会的な考え方をも理解しているかは非常に疑問であるが、察するに失うものが何もない(得たいとも思わない)、次の世代に残すものが何もない、でも社会に対する不満の鬱憤晴らしはしたいという発想が根底にあるかもしれない。中身があれば違法だろうがなんだろうが構わないという理屈は、まさに反社会的集団やテロリストと同じである。
ここで社会の一員(市民)として止血をして地に足をつけて歩きだそうとするのか、それともイメージ悪化をもマスコミのせいにし、反社会的集団として血がダラダラ状態から血しぶきが上がり再起不能になる可能性をあえて選択するのか、住民のより広い視野での良識が試される。

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わがまま典型4パターン
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自己中心的でわがまま、そしてひねくれた性格の人が増えていると感じるこの頃。到底正常とは思えない阿久根の竹原氏はもちろん、例えば読売新聞Webサイトの発言小町や人生案内を見ていても考え方のおかしな人が増えたと感じる。逆に言えば、それは自分自身にも問われることである。そこで自戒の意味を込めて、いくつかの傾向パターンを整理しておきたい。

1.どちらとも受け取れる事象は自分に都合のよいようにだけ解釈する。(軽度)
これはある意味プラス思考であり、必ずしも全否定されるものではない。高校野球で先攻をとれば先制攻撃できると言い、後攻をとれば延長戦で有利と解釈するようなもの。テストの点数が良ければ「自分が頑張ったから」と分析し、点数が悪ければ「テストが難しかった」だけで終わらせるのもその例。しかし物事の交渉などで、お互いが自身に良いようにだけ解釈しておしまいにしていると、後でとんでもない軋轢(あつれき)を生むことになる。
特にうまく進んだと思う時ほど、複数の観点で客観的に物事を見つける習慣が必要である。

2.自分を正当化するために、直接関係がない事象を指摘する。(中程度)
例えばフリーマーケットで自分の子供が汚れた手で商品を触って怒られたとする。親が子供を擁護するために、フリーマーケットで商売をしていた人の服装が変だとか言葉遣いがおかしかったとか、自分の子供は有名幼稚園に通っているとかで理屈を組み立てるとおかしいと思わざるを得ない。
また、私の母の例で恐縮だが、自分の飼い犬が脱走してよその犬に飛びかかってしまった。しかし母はその犬も以前脱走して飛びかかられたことがある、だからお互い様だと。これは確かにそうかもしれないが、だからと言ってよその犬に飛びかかったことの非がなくなるわけではないことは当たり前の話。
つまり、それとこれとは話が別ということ。感情論だけで複数の異なる事象を混同することは避けたい。
阿久根帝国竹原氏が、違法性の高い専決処分を正当化するために、議会の欠陥をことさらに強調することもこの事例だろう。「議会が悪い」「法律が悪い」=「自分の違法行為が正しい」とはならない。正しくは、議会も悪い(かもしれない)が自分の違法行為はもっと悪いのである。
塾講師をしていた時、先輩の先生がある生徒に対して「人のせいにするなよ」と烈火のごとく叱責していたことを思い出した。中途半端な自己弁護はしないほうがマシなのである。というぐらい、人間として基本的なことであり、甘えることなく自己を律することができるようにしたい。

3.自分に都合のよい情報だけを取捨選択する。(中程度)
自分にとって都合のよい情報、悪い情報が混じっているときに、都合のよいものだけを強調する手法。これも全否定されるものではなく、うまく使えば商売上手になれる。家電量販店が11月末まではエコポイント半減を連呼し、今度は来年1月からより基準が厳しくなり買い替えに限られるからやっぱり今がチャンスと煽るのがその例。「エコポイントが半減しました。11月までに買ったほうがよかったのに。」ではいくら正直でも売り手として商売にならない。
一方、名古屋のリコール騒動では、署名集めの杜撰さがあった一方で、選管が厳しい基準で無効にした署名もあったとされる。このときリコールを支援する団体は、選管がすべて悪いかの如く主張することで自らの落ち度を覆い隠そうという意図が透けて見える。少数ながら署名偽造もあったと言い、これは少数であっても犯罪領域である。自分の失点を棚に上げて、選管の審査基準だけをやり玉に挙げるようでは、「おかしいぞ」と思われてしかるべき。
自分の失点は素直に認める、相手の落ち度は粛々と指摘する。ギブアンドテイク両方があってこそ、相手を動かすことに繋がることを認識しておきたい。

4.自分の主張から逆算して事象をでっちあげる。(重度)
上記3.までの手法をもってしても、例えば相手の無関係な落ち度すら見当たらなくなったらどうするか。ここからが重症領域になる。阿久根帝国竹原氏の例が挙げられる。
自分をリコールする団体は自分の改革を否定している。改革を否定するということは、減税やボーナス半減などの官民格差是正を否定している。ということは公務員・議員の味方で増税・公務員厚遇したいに違いない。ということはリコール団体は利権と癒着している、という具合にでっちあげる。まさに「妄想」の領域。
言うまでもなく、リコール団体が問題にしているのはまさしくそうした中傷行為で自分を正当化する手法であり、リーダーとしての資質のなさを問うているのである。リコール団体は改革はむしろ必要と訴え、議会とも一線を引くとしている。ここを見せたくがないために、事象をでっちあげて虚偽の事実で相手を叩くしか手段がなくなっているのである。
根も葉もない噂を立てることは名誉棄損に他ならない。それを自覚できないのは性格というよりもはや病的要因を疑わざるを得ないほどの重症である。
さらに重症化が進めば、でっちあげた事象の通りにならなければならないと考え、鹿児島県志布志市で発生した選挙違反のでっち上げや、昨今問題となった大阪地検によるフロッピー改竄へとエスカレートしていく。

4項目に整理してみたが、当然ながら「一般的な常識人」であれば心得ているだろうし、こういう行動をとったら社会の中では生活に必要な人間関係を築くことすら危うくなる。周囲とトラブルを起こしているような人を見かけたら、上記パターンにはまっているか考察してみるとよい。まあ、4.は極端にしても2.か3.までは心当たりのある人も多いのではなかろうか。筆者も含めて、このようなパターンに陥らないように戒めておきたい。

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