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暴走が止まらなくなった橋下知事(中)
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9月17日、「ハシズム(橋下主義)を斬る」というテーマで第1回の市民集会が開かれました。橋下氏が多用する敵を作り上げて批判することにより自身の支持を得る手法の何が問題なのか、なぜ支持されるのか、大学教授や精神科医による講演、ディスカッションが展開されました。「おかしいぞ」と思う人が一定数いることにホッとする一方、「おかしいぞ」と思う輪をもっと広げていかねばなりません。

今一度、原点に立ち戻って何が問題なのか考えてみましょう。「なれあい政治はもうごめん」「膿を出し切るにはこれくらいしないと」と考えておられる皆さん、それはご自身やご家族・お子さんが何ら関係ないと思っているからそう思えるのでしょう。「どんどん改革をやってもらいたい」と思っている人も、自分の上司や先生になってほしいかと言われれば、「それはどうかな…」となりませんか。もしそうだとするなら、自分がされて嫌なことを他人なら良いとは何と身勝手なこと、と反省を促したいと思います。

なれあい政治をやめなければなりませんし、膿があるなら出さねばなりません。ご自身自らが改革を迫られる状況になった場合に、どんな手法だったら良いか考えてみましょう。悪い状況の認識共有をしたうえで、解決手法に「納得」したうえで、自分自身が「やらねばならない」と自発的に動き出す姿があるべきと考えます。今までの民間企業で改革に成功してきた経営者は、ほぼこの要素を含んでいると言っても過言ではありません。
一方、議論を尽くさず多数決でやり方を決め、「やらされ」で動いている人は成果が上がるでしょうか。意思決定までのスピード感は確かにあるかもしれませんし、もちろん仮に一時的に緊急手段としてこの手法で乗り切ることはあり得るかもしれませんが、これが目指す姿になってはいけません。

その意味で昨今の橋下氏の手法は、この「やらされ」を職員や教員に条例として強要するものです。その中身はそれなりに理にかなったものかもしれませんし、部分否定はされても全否定はされない内容です。ですが、この手法では仮に内容が良かったとしても狙った成果が期待できません。
その成果を出さないと処分対象となれば、無理にでも成果につなげねばなりません。皆さんはどうしますか。「ズル」をするか、成果に関係のないものは必要であっても「見捨てる」ことを意識的・無意識に関わらず考えてしまいかねません。それを職員や先生に「やらせる」ことを是としますか。それが問われているのです。

もっと大きくとらえましょうか。この手法を是とするか否かは、今後の世の中全体の方向性にまで影響を与えるものと考えてください。もしこの政治手法が是とされたならば、皆さんの価値判断もこれが是とされているということです。人間関係の中においても、異なる意見を議論もなしに「排除」する殺伐とした行為が当たり前になるでしょう。学校や会社の中でも、反対する者を処罰するだけの「やらされ」が普通に行われることでしょう。
よろしいですか、橋下氏は世の中のシステムを変えようと言ってるわけです。上の方だけでごちゃごちゃ行われるだけと思ったら大間違いです。大阪だけでなく日本全体への影響力があるわけですし、我々自身の生き方をも問われていることを肝に銘じたいものです。

そして「やらされ」の結果は、中身がそれなりなものであれば、とんでもないことにはならないでしょう。しかし、施策に不満を持つ人にとっては、限りなく不幸と感じることでしょう。しかも選挙で半数の民意が切り捨てられる以上、住民の半数は不幸になりえます。大半の人はボチボチと、そうでない人もそれなりに…が現状とすれば、全体としては悪化につながる恐れがあります。

「必要なのは独裁」と言い、先日もテレビ番組で「大阪国を作る」などと語っていた橋下知事。「独裁の何が悪い」と言わんばかりですが、答えは明確です。「やらされ」により思った成果が上がらず弊害が生じること、そして世の中の半数が不幸になることを是とすることが悪いのです。
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テーマ:地方自治 - ジャンル:政治・経済

暴走が止まらなくなった橋下知事(上)
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これまで当ブログでは橋下大阪府知事について、個々の施策に関して是々非々で論じ、全体的には高く評価してきました。
・過激な発言などもあるが、全体としてはプラスに働いている。そうなるバランス感覚がある。
・相手に善処を求める際に必ず見返りを用意する。
といった前提があったためです。「竹原氏を心から尊敬している」などと発言した際には、一方で「大阪ではそんなことはできない」とも語り、筆者としては無責任な放言と批判しつつもリップサービスの一環なのだろうと思っていました。

しかし、それが彼の目指す姿だったとは…、正直がっかりしますし、それを見抜けなかった筆者も反省しなければなりません。そして、今こそ暴走を止めなければなりません。

では、何が問題なのか。最もポイントになったのが、統一地方選で大阪維新の会が過半数を取った後の府議会で、十分な議論もなく議員定数削減を強行可決してしまったことであり、これは「実害」です。さらに、教育基本条例や職員基本条例をぶち上げ、ポピュリズムに訴え、「大阪完全制覇」を虎視眈々と狙っているのが見え見えです。

議員定数については「私の信念で半数」とか言うええ加減なものではなく、「10万人に1人」という根拠を出している点は評価できます。確かに、必要な定数より多い分は減らせばよいのです。ですが、選挙が終わったばかりの府議会で、なぜ4年後のことをかくもあっさりと決めてしまわなければならなかったのでしょうか。少なくとも、深夜にバリケードを突破してまで採決する必要はなかったはずです。橋下氏の手法として、「やるぞ」と良い意味での脅しをかけて相手を動かすことは品格はともかくあり得る手法と思っていましたが、本当に「実力行使」してしまってはやりすぎで毒の方が強くなります。

議員定数と同時期に可決した君が代条例も内容は悪いどころか、規則である以上、「学校の先生もルールは守れ」と言うのは当たり前です。社会的な常識から考えても妥当性のあるものであり、最高裁判決でもそれを容認するものとなっています。筆者が問題にするのはその是非ではなく、嫌々やらせてそれで満足なのかということです。これは私たちの学校で、職場で、自分にとって納得できないルールが決められて罰則をちらつかせられたらどう思うかという観点でよく考えたいと思います。逆に言えば、上に立つものが規則や罰則を強化する際には、理解を得る説明を粘り強く続けることや規則を守ることによるメリットなどをセットにするなどの配慮が必要なのです。昨年までの橋下知事にはそうした見返りをセットにする様子が必ずと言ってよいほど見られましたが、4月の選挙後は単なる強制押しつけが目立ってきました。維新の会が過半数を取るまでに必要だった「したたかさ」は影を潜め、ただの「道楽」になり下がってしまったのです。

さらには、節電を巡っての発言の迷走も大問題です。脱原発に消極的な関西電力を気に入らないのは分かります。しかし、関電が節電を呼び掛ければ「原発が必要だと脅迫している」と言い、8月初旬に今夏の電力需給の目途が立ってきたとの見通しが発表されたらされたで「節電しないように油断させようとしている」とはいったいどういう神経をしているんでしょうか。これでは、「ねえちゃんとおふろはいった?」のひっかけ質問と同様、YESでもNOでも批判するということであり、脱原発に向かうか関係なしに関電を批判することが目的化してしまっていると考えられます。どうやっても叩くネタにするのは卑怯者のすることです。
挙句の果ては「府庁は関電から電気を買っていないのだから節電しなくてよい」発言です。「節電して余った電力を関電に売った方が建設的」という府幹部の助言で撤回はしましたが、これまで保ってきたバランス感覚が崩れていることの証左にほかなりません。

これだけおかしくなりつつあるなら支持率もさぞかし下がると思いきや、8月の世論調査では横ばいを維持しました。筆者としてはせめて最低限「何かがおかしいぞ」とは感じてほしいと思いますし、そこを出発点に何がおかしいのか、橋下知事が目指そうとしているゴールは何なのか、それは我々が望んでる世の中の方向性と一致しているのか、それで課題が本当に解決するのかを、他人事ではなしに自分のこと、世の中全体のことと捉え、”真剣”に”本気”で考えて、支持の是非をよく見極めていくべき段階に来ていると思います。うがった見方をすると、権力の座を拡大するために、「ここまで強引にやってもまだ大丈夫か」と住民の反応を見ながら、ジワジワと強権的手法を多用していくのを是とする世の中を目指すようにも見えます。

この問題、次回も引き続き考察していきます。

テーマ:地方自治 - ジャンル:政治・経済

何かおかしいと思いませんか(脚色あり)
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(拍手と歓声で出迎えた後、)
「お辛い思いをされましたね。でもその方の分までしっかり生きてくださいね。」
「ははあ、ありがたいお言葉、一生忘れません。」
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(余計な人が来たような眼で睨みつけて出迎えた後、)
「この度は、お辛い思いをされましたね。」
「せっかく来てくれたのは良いけども、何しに来たんですか。」「我々の要望をどこまで聞いてくれるのか、甚だ疑問。」
(30分後、これ以上いても迷惑がかかると思い)「それでは、今日のところはこれで失礼させていただきます。」
「ええっ、もう帰るんですか。ガス抜きで終わらせるつもりかい!」
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(有名人が赤ちゃんを抱っこしている)
「キャー素敵~!私も抱いてもらいたい!」「子供も喜んで、本当に和んだ1日でした。」
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(土下座で床に頭をこすりつけながら)
「ご不便、不自由をおかけし、誠に申し訳ありませんでした、すみませんでした。」
(腕組みをして仁王立ちで見下ろしながら)
「今まで安全と言ってきたのは嘘だったんですか。嘘だったんですか!!」
(今にも蹴飛ばしそうな勢いで)「答えろボケ!!」
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A:これって同じ場所であった場面とは思えんな。
B:まあ、それぞれ人も違うし、事情もあるから仕方ないけどね。
A:確かにガス抜きで終わらせてはいけないとは思うよ、でもあれではひとまずガス抜きしてからでないと、話できないんとちゃう?
B:まあ、それが結局は解決を自ら遅らせていることにもなるね。
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「皆さん、自転車をご用意しました。1人1日3時間お使いいただけます。」
「おお、これは助かる。わしは遠いところにも出かけるんで、3か月ほど借りっぱなしにしておきたいんじゃが。」
「いや、皆さんお使いになりますので、それはご勘弁を。」
(胸ぐらをつかんで)「わしらは家もないんじゃ。困った人の要望を聞くのが行政の役割ちゃうんか、ナ、ナ、ナ!!」
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「皆さん、靴が届きました。」
「俺はアディダスでよろしく。」
「アディダスはちょっとないのでご勘弁を。」
「アディダスと指定して取り寄せてくれ。俺はアディダスじゃないといやだ。」
「そんなことおっしゃられても…。」
(胸ぐらつかんで今にも殴りそうな格好で)「何だと!言うこと聞けねえのか!!だから役所仕事はダメと言われるんだ!」
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「車買うから金が欲しい。とりあえず100万よこせ。」「住宅は内風呂のあるところでよろしく。要望を聞くのが行政の役割だろ。」
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A:何かおかしくなってきたね。なんだかクレーマーかモンスターだな。
B:うーむ、でもよく考えてごらん。おかしくなってきたというよりかは、あれだけたくさん人がいたら、中には元々そういう人も一定数いるということでは?
A:まあ、それは言えるかもね。そういう素地のある人でも、最初のうちはさすがに我慢していたけどそろそろ限界で正体が…ってところじゃない?
B:そうだねえ。当事者じゃないと分からない、やり場のない怒りとかもあるだろうから、私たちがあれこれ言うことじゃないとは思うけど、真面目な人の足を引っ張らないか、それは心配…。
大震災、「無責任な批判」よりも「責任ある提言」を
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3月11日に発生した東日本大震災。地震だけでなく津波で街・港・田畑が流され壊滅的な災害となってしまい、さらには原発トラブルの問題も抱えるという、極めて厳しい状況に陥った。東日本の海岸が戦争で爆撃を受けたかのような悲惨な姿である。

でも、避難所では自主的にルールを決めて整然と夕食が振る舞われる状況や、ボランティアによる支援、そして全国から多額の義援金が集まるという様子をみると、この苦しい中で懸命に生きそれを助けようという気持ちの素晴らしさに感動を覚えた。さらに海外からも日本へのお見舞いや応援のメッセージをいただくなど、大変ありがたいことである。

一方でこの記事では別の見方をしておきたい。
まず日本人の場合、あるシビアな状況におかれた場合に「力を合わせて」「心を一つに」という良い連帯感で立ち向かっていけるだけの実力を持っている。ところが、これが何カ月・何年という期間に及んだときに「熱しやすく冷めやすい」日本人の悪い特性が出てきて、それがねじ曲った方向に向かうことも懸念される。

被災地では、テレビには映らないだろうが、長引く避難所生活の中で喧嘩の一つや二つあっても何ら不思議ではない。極限ともいえるストレスの中で、無理もないことだろう。
家屋などの被災はしていないものの計画停電や節電を求められている関東地方の方々にとってはどうか。こちらは微妙なところだ。これを機に節電生活に慣れ、生活に工夫をしていくような人もいるだろう。
一方で不自由な生活への不満が政府や東京電力に向かい、政府と東電を悪者にしておけば”鬱憤晴らしでスッキリした”となるという風潮も散見される。しかしこれだけでは、世の中の足を引っ張るだけであり、何の解決にもなっていない。

海外からの温かい支援も、数カ月は続いたとして、そこから完全復興するまで応援し続けてくれるかと言えばそれは期待できないだろう。むしろ、日本がどのように立ち直るのか、立ち直れるのか、世界中からいろんな意味で日本の行方が注目されることになると思われる。
我々はこのような環境の中で、どのようなマインドセットを持てばよいだろうか。

筆者が最も申し上げたいことは「責任ある提言」をしていくことである。
政府や東電の失点に対する批判は免れない面も多々あってしかるべきだが、合わせて現実的・建設的なな提言をしていくことが大事である。

具体的事例を見ていこう。
3時間ごとに一定エリアを停電させる計画停電。連続稼働が必要な工場にとっては死活問題になりかねない。そのときに「計画停電はけしからん。だいたいからして東電が津波対策をきっちりやり、政府の初動対応が正しければこんなことにならなかった。だから強く抗議する!」と、これだけでは何の解決になろうか。でも次のようにすれば一歩でも二歩でも前進する。例えば平日に産業界ごとに休日を設定し、平準化することで計画停電を回避する方向で調整される動きがある。このように自ら手法を考え可能な範囲で調整し、政府や東電を動かしていくことが大事である。

次は無責任な事例。「2週間たっても被災地に来ない」と言っておいて、来たら来たで「何しに来た?たった数十分の視察で何が分かる?」とやっぱり批判。どちらを選択しても批判するのは卑怯者と言うほかない。批判のための批判、無責任な提言なら、一部マスコミによる醜態とレベルは変わらない。政府が視察に来たとしたら、来たからこそ分かる情報を持ち帰ってもらい、次の施策につなげてもらうことがポイントであることを忘れてはならない。「何しに来た?」では文句をぶちまけることが目的となってしまい、もはや政府の支援を頼らないとの覚悟があるときの捨て台詞に近い。
また、「信用ならん。隠している情報を出せ!」と言っておきながら、情報が出たら出たでパニックになり過剰反応で買い占めに走ったり差別的行動に出るのも無責任極まりない。厳に慎むべきである。情報公開を求めるなら、自らも情報を正しく解釈し正しく行動することとセットにしなければならない。

もうひとつ、最後の問題事例は「ないものねだり」。「一度に全てのことをやれ」的な非現実的な要望や、「過去にこうすべきだった」は一理あったとしても今現在もはや意味をなさないことを延々と連ねるような余裕はない。

これまでも地方自治で住民の参画意識について考察をしてきたが、まさしく今こそ、我々が本気で変わるべき時である。被災地と直接関係のない地方にまで影響が広がり、サバイバル戦にもなりうる様相の中で、そもそも政府や自治体の支援をお茶碗叩いて待つだけでは何も解決しない。我々から積極的に動けることを提案し、それにより実現可能な施策を引き出せるように動かしていく、この積み重ねが政府や東電のレベルを上げていくことにもつながっていくし、我々自身にとっても貴重な経験となり一体感も生まれ個々の人生にも活かされる。

無責任・非協力で言いっぱなしではない、そして国や自治体に頼るのでもない、我々自身ができること、動けること、提言できることをしっかり考えて社会や国を動かし変えていくことが大事だ。国や自治体が提案すべき事柄であっても、気付いた我々が提案しても構わないではないか。「責任ある提言」を是非意識、行動するようにしたい。
地方自治:禁止ワードから脱却しよう
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阿久根・名古屋などで揺れ動く地方議会、二元代表制。混乱をもたらしたのは首長なのか議員たちなのか。それを問う前に、そもそも彼らを選んだのは我々住民に他ならないことも現実である。今回のテーマは「禁止ワード」。筆者が見聞きするうえでNGと考える住民の発言を通し、あるべき地方自治の姿を追求したい。

1.「○○さんなら何とかしてくれる」
これは阿久根の竹原市や、国政では民主党の小沢氏に対してよく聞かれる。強引なやり方でも停滞せずに進めてくれるカリスマ性や剛腕への期待感が表れた言葉であるが、間違いの根源が実はここにある。
この言葉は言い換えれば、「○○さんに良いも悪いもお任せします」ということであり、「私は興味がなく参加しません」とも言っているのと同じである。この希薄な参画意識がもたらすのは、A.間違った方向に進んでしまっても、きっと良いことをしてくれているに違いないと信じ続けて取り返しのつかないことになるか、B.結果が出なければ手のひらを返して叩き落とす、という結果である。いずれも、自身がその人を選択した責任感がみじんもなければ、次に活かすことにも何らつながらない。
混乱する国政に「坂本竜馬が登場するのを待つしかないな」という街頭インタビューが聞かれたが、自分たちで事態をよくすることを考えるでもなく、ただひたすらスーパーマンの登場を願うという、まさしくこのダメダメ残念な思考法の最たるものである。

2.「議会が何やってるか知らない」
これは、議会が議論の内容や採決の結果をどこまで積極的に公開しているのかという問題もはらむ。しかし、議会だよりを読んだり、自治体のホームページで確認したり、少なくともメディアで報道されている内容をチェックしていれば、それなりの情報が出てくるにもかかわらず、「知らない」と言って議会を批判し、リコールに突っ走る住民が多い。名古屋市なんかはまさしくそういう住民が何十万人もいるのではないか。
言うまでもなく、情報は口を開けて入れてもらうものではなく、自ら取りに行くべきものである。普段馴染みが少ない政治に対して関心を持つことは容易ではないが、ならば知らないものを単なる印象だけで批判すべきではない。小鳥が「えさはまだか」と口をパクパクさせながら、親鳥の帰りをお茶碗叩いて待っているような、与えられ民主主義から卒業すべきである。
こういう人は仕事の様子を全く見ずして「公務員は楽して高給をもらっている」だの、「議員は居眠りしながらたまに議会に来るだけで我々よりはるかに高い給料をもらっている」などと言い放つことが多い。確かにその批判が当てはまる人もいるだろう。が、いつまでもそういう見方を続けていると、真面目にコツコツやっている公務員や議員は、いくら努力しても報われず十把一絡げに叩かれるだけで馬鹿馬鹿しいと、やがて愛想を尽かすことになり、結果として公務員や議員のレベルはますます低下する負のスパイラルが待ち受けることになる。自分で自分の首を絞める状態。そして、大騒ぎしていたずらに混乱させた人が勝ち組になる世の中が出来上がる。愚衆政治ここに極まれり。

3.「どうせ今まで二元代表制は機能してなかったんでしょ」
これは既存政党を批判したり、従来型の権力政治からの脱却がねじ曲がったときに生まれる発想である。つまり、今まで駄目だったんだからその反対を選べば良い方向になるのではないかという安易な考え方である。
高度成長を続けていた時代は、首長と議員と土建屋がグルになって私利私欲に走ったとしても、庶民にプラスの配分があったため、大した問題にはならなかった面もある。現代は逆にマイナスの配分をお願いせざるを得ない状況の中で、自ら身を削る首長がもてはやされ、庶民のためと称する独裁が容認されつつある。そしてまた、その結果として何らかの実害を被るようになったら揺り戻しで再びその反対に流れると。問題は、リスクを承知して独裁でも良いと判断して選んだのではなく、単に現状の嫌なものを一掃して目先を変えたかっただけという点である。
現状を「過渡期」と評する人もいるが、何が均衡な状態か、つまりはあるべき姿を今一度よく考えて判断しないと、アンバランスな天秤が延々と何度も上がったり下がったりするだけで、いつまでたっても均衡な状態にならない。実はこれこそが究極の無駄である。

4.「これが民意だ」
これは、民意が絶対的に正しいという仮定に基づく考え方で、選挙に勝ったほうが多用する。
民意は、その地域の住民の多数派が判断した一つの結果であるが、それが全て正しいかの如く扱われるのはいかがなものか。世論も同様である。
民意がもし、世の中のありとあらゆることをバランスよく考えて判断されるものであることが保証されるのであれば、民意絶対主義もありえよう。が、上述のように民意というのは現実問題論理性に欠け、極めて感情的・情緒的なものに過ぎない。言い換えれば、世の中の善悪は、何が正しいとか法律はどうなってるとかではなく、住民の好き嫌いによってのみ決まるということである。こんな考え方がまかり通ると、法律やルールを守るかどうかも住民の趣味で決めてよいことになってしまう。これでは秩序のある世の中を作れるわけがなく、むしろ今の時代があと30年で崩壊する懸念さえ筆者は持っている。
世論や住民感情を意識した言動は求められて当然の面も確かにあるが、一方で民意が本当に正しいのか、というものの見方も我々は意識しておきたい。それは我々自身に反省と進歩を促すことであり、そして政治だけではなく、より良い将来につなげていくために必要なことでもある。

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議会ごっこしましょう(注:フィクション)
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担任:さあ、みなさん。今日はクラス26人でゲームをしましょう。先生は職員室に用事に行ってくるから、役割分担を決めて始めておいてね。
B:じゃあさあ、市議会ごっこしない?
C:やろうやろう。面白そうじゃん。
A:ぼく、市長やる。議員やりたい人?
D:議員いやや。だって悪者やもん。
B:じゃんけんで10人選ぼう。
(じゃんけんの結果、B・C・D・E・F・G・H・Iの8人がいやいや議員になる)
B:あーあ、負けちゃった。ならば俺BとC・Dは市長派議員で決まり。残りは反市長派ね。
E:ぼくは議長やる。
B:選管は2人。やりたい人は?
(シーン…。じゃんけんの結果、J・Kが選管になる。)
L:私LとM・N・O君、P・Q・R・Sさんは投票する人。
T:そしたら俺とU・V・W・Xはリコールする人で決定!
Y:私YとZさんは投票とリコール両方の役!

市長A:オホン。ではでは、減税を提案します。
反市長派E:なんで減税せーなあかんの?
反市長派F:景気良くなるの?
市長A:ええい、理屈はどうでもええ。わしは減税をコーヤク(公約)に当選したんだから、市民に信頼されとるんじゃ。いちいち説明する必要はない。だいたいからして議会は反対ばっかり。こんなんで給料をたくさんもらうとはけしからん。議員報酬半減じゃ。
市長派B:市長の言うことは市民に良いことばかり。キトクケンエキ(既得権益)とやらを吹っ飛ばせ!
市長派C・D:そうだそうだ!
議長E:とりあえず休憩。
市長派B:ヌハハハ、閉じ込めてしまえ。
市長派C・D:妙案だ。これなら入れないから反対もできない。
反市長派:入れないし~。開けて~!
市長A:それでは議会を開けないので、センケツショブン(専決処分)するもんね。アッハッハッハ。

市長A:反対ばかりの議会はいらない。議会リコールだ。賛成する人?
市民T:ハイハイ!署名集めしまーす。U・V・W・Xの署名を集めたので計5人ね。
選管J:5人は有効数なんだっけ?
市民U:いいんだ。選管は黙って言うことを聞いておけ。出しゃばらずにシュクシュクとやってればいいんだ。
市民V:そうだそうだ。選管が議員の味方とはけしからん。
市民W:選管よお前は、私らの熱い気持ちが分からんのか。リコールの意思は最大限ソンチョウ(尊重)されるべきだ!

選管K:投票の結果、賛成5、反対2でリコール成立で出直し選挙をします。
反市長派:あーあ、次は落選かなあ。
市民T:俺は投票には興味ない。嫌だったらリコールするまでよ。
市民U:そうそう、だいたいからして議員をクビにするのは愉快痛快だけど、投票でまともに人を選ぶなんてオモロないし。

市長A:すべては絵図通りに事が運んでいるではないか。
市長派D:我々の企みに引っかかった反市長派どものアホ面がおかしくてたまらん。オッホッホッホ。
市長A:政治は所詮ゲーム。娯楽じゃ。市民を手玉にとって味方につけたほうが勝ち。ヌハ、ヌハ、ヌハハハ。今日は前祝いじゃ、飲め飲め。

選管J:選挙の結果、これまでと同じ人が当選です。
市民T:これはえらいやっちゃえらいやっちゃ。もう一度リコールだ!
市長A:ええい、市民に信を問うために辞職します。

選管K:選挙の結果、市長も議員も同じ人が当選です。
市民T:なんと。正義のためには何度でもリコールするぞ。
市長A:本当に信を得るまで何度でも出直すのだ。

選管J:選挙の結果、市長も議員もやっぱり同じ人が当選です。
反市長派:なんだかなあ。どうにかならんのか。
選管K:はい、市民の皆様の仰せの通り、制度にのっとってシュクシュクとやってます。

担任:あらまあ、面白そうだからと思って黙って見ていたら、4回選挙やって同じなのかい。ええ加減にせい、ドカーン。このようにして選挙ばかりで何もできず、市は滅びましたとさ。なんでこうなってしまうんでしょうねぇ。みんなで一緒に考えてみましょう。

全員:はーい。

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帝国国語辞典
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持論 屁理屈のこと。その人独自の発想に基づく、その人およびその人に共感する人たちの間でのみ通用する論理。社会一般には到底通用しない、身勝手な論理。戯言(たわごと)。

物議を醸す 心ない発言や行動により人の心を傷つけ悲しませる、もしくは怒らせることにより、むやみに世間を騒がせること。

問題提起 法律などの決まりごとをなし崩し的に破ったり、差別的発言などで人の心を傷つけることにより、その決まりごとの意義や考え方の是非を世に問うこと。(類義語)一石を投じる

市民 市内在住者の中で、自分と同じ考えを持つもしくは自身の考えを支持する人たち。異なる考えの人、支持しない人たちは、たとえ市内在住であっても含まれない。

改革 1.首長が議会と対立し、政治を混乱させること。2.生活が豊かな人を撃退し、全員で苦労の底辺を共有する社会を作ること。3.それを実現するための障害となる機関(議会・マスメディアを含む)と対立し、社会全体と戦うことを目的とする反社会的行動。4.公務員や議員から仕事を奪い給与・報酬を減らすこと。(類義語)革命

偏向報道 内容が事実であろうとなかろうと、自分にとって都合の悪いメディア報道を指す。なお、事実を歪曲していても自分にとって都合がよい場合は含まない。(類義語)悪意ある報道

官民格差是正 公務員の給与を下げること。それを通して所得水準を民間や一般市民に合わせること。一般的には低い水準に合わせること。なお、民間や一般市民の所得水準を上げることは考慮しない。(類義語)公務員改革

支持 自分と同じ考え方、もしくは同じ考え方を持つ人に賛同の意を表し支援すること。広義には、その支援・応援のために法律違反やモラルに反する言動をも容認・奨励することも指す。(類義語)擁護

財政再建 1.不要不急の経費を増やしたり減税によって事実上財政悪化状態にあるとしても、人件費を削減することでいかにも財政を立て直すかのように演出すること。2.実際には財政黒字で改善の必要がない状態であっても、人件費を削減することで現在いかにも財政危機であるかのように演出し、財政を立て直す取り組みをしているかのように見せかけること。

坂本竜馬 幕末の風雲児として活躍した人物。転じて多少の法律違反をしても改革は許される、後の世で評価されることの根拠として用いられる。(反意語)ヒトラー

既得権益 1.公務員や議員が普通に仕事をして生活に必要な収入を普通に得る権利。2.自らの給与をカットしたように見せかける一方、別ルートで同等以上の所得を得る新しい仕組み。

善悪 自分の好き嫌い。趣味嗜好。自分にとって都合がよいか悪いか。

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普天間問題、反対と同時に提案を!
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 普天間の基地移設問題。徳之島移転案、辺野古の現行修正案を軸に調整が進められているが、いずれも現時点で目処は立っていない。5月末決着は先送りが濃厚で、鳩山政権の責任が厳しく問われているところである。

 大きな問題の一つはそのプロセスにある。対米関係の事情も勘案して難しい対応を迫られたとは言え、秘密裏に検討が進められ、それが報道で浮上しても「何も言ってません、決まってません」と言い通しておいて、数日後に現実のものとなる。これでは当事者の住民が不信を抱くのも無理はない。
もう一つの問題は、「最低でも県外移設」を唱えながら、交渉を尽くした結果ではなく、抑止力の観点で考えが変わったとして沖縄に据え置くことにした点である。これでは「裏切られた」「信用できない」という非難・誹りは免れない。そうした問題が首相のリーダーシップのなさと捉えられ、支持率の急降下の一因になっている。

 しかし一方で、私はここで重要な観点を問題提起したい。
 住民の猛反対、総理への批判、これはあってもしかるべきだ。けれども、それだけでこの問題が前に進むのか、ということである。厳しく言えば、文句つけているだけで満足しているのか、ということである。

 反対や批判はする一方で、こうすべきであるという提案をセットにするのがあるべき姿ではないのか。徳之島移設を一致団結して反対、それは良いだろう。が、どうすれば良いのか聞かれて答えられる人がどれだけいるのか甚だ疑問だ。むしろ、「そんなこと国が考えるべき話で、関係ない」「知るかボケ」という合唱すら聞こえてくる。もしそうでないなら、「反対」のプラカードと同時に「グアムへ持っていけ」「是非とも関西へ」「基地は廃止」とか書いておくべきである。
 当事者意識のない国民も同様だ。首相が追い込まれ苦しんでいるのを楽しんでいるかのように、高みの見物に興じているだけではないのか。反対デモをひたすらお茶の間に垂れ流す報道姿勢、それはそれとしても何らかの提案とセットにしたことがあるのか。そんな「出された料理にいちゃもんつけるだけ」の、非協力的で無責任な人間が果たしてどれだけ強く批判する資格があるのか、己を省みるべきではないか。

 「○○では駄目だ」は大いに結構だが、「○○すべきである」「○○すれば良い方向に向かう」という提案をセットにしたいものである。そのためには各自がよく考えねばならない。しかし、それが一番大事なのである。ちなみに私としては、やはり現状では統治能力のない、本来ならお取りつぶしに等しい”阿久根帝国”に全部引き取っていただくのが良案と考える。

テーマ:考えさせるニュース - ジャンル:ニュース

新型インフルエンザ狂想曲
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新型インフルエンザの対応を巡って、いろんな課題が浮かび上がっています。関心は既に秋から冬にかけての第二波に移っているようですが、もちろんその備えをしっかりしておくこともさることながら、課題について検証して改善すべくは改善しなければなりません。

5月16日に成田検疫以外で初めての国内感染者が確認されて以降、関西地区、特に神戸や北摂地域ではほとんどの人がマスクをしていたと言います。薬局には行列ができ、品薄になってネットオークションでは高額で売買されるといった事象も見受けられました。
ここで注目しなければならないのは、なぜかくも人々の関心はマスクに集中したのかです。感染予防に一定の効果が期待できるとはいえ、マスクを求める人々の本当の理由は別のところにあったのではないか、と思わざるを得ないのです。

成田検疫で最初に感染が確認された高校には多くの報道陣が詰めかけ、一斉に「現地でマスクをしていたのか」と質問を浴びせました。これはつまり、感染防止のための最大限の努力をしていなかったですよね、という批判の意図を大いに含んでいます。逆にマスクをしていれば、”不可抗力”として”免罪符”的な役割を果たすと言えるのです。
次の問題は、マスコミ報道の大きさでした。感染が確認されたら保健所が記者会見し、知事のコメントも出ます。所属する高校や事業所などには報道陣が詰めかけ、記者会見に追われ、「マスクをしていたのか」と質問を浴びせられます。ヘリコプターで中継されることさえあります。感染した人や高校への誹謗中傷も恐怖です。
そして症状は季節性インフルエンザとそう変わらず、既に完治に近い状態になってから感染が判明した生徒の自宅には、防護服を着た人が救急車で迎えに来るということもあったと言います。拡大防止のためにと数日間の行動を世間に暴露されます。当然関係者や家族にも迷惑をかけることになります。
結局、新型インフルエンザの症状そのものよりも、付随する数々の待ち受ける事態を最も恐れているのです。だから、少しでもリスクを回避し、万一感染したとしてもバッシングを最小限に留めようとする流れになるのは、ある意味当然のことなのです。

100人以上の感染者を出した関西大倉高校に対しては、過剰どころか差別としかいいようのない悪質行為もありました。高校の職員と知っただけでタクシーの乗車拒否、制服のクリーニングを出そうにもあからさまに嫌な顔をされたそうです。また、模擬国連に参加して感染した洗足学園には100件の抗議があったと言います。
他にも、不景気を反映して、便乗解雇や過剰反応があったと言われています。「感染したら解雇」と脅しをかけたり、「渡航した人には仕事がないので辞めてほしい」というのがあったとされています。また、そこまではいかなくとも「海外帰りの人は、新型インフルエンザにかかっていない証明を発熱外来に行ってもらって来い」のように、発熱外来の意味をはき違えた措置も取られ、結果既にパンクしている発熱外来に拍車がかかることになってしまいました。

コミュニティが一丸となって新型インフルエンザの感染防止に取り組まなければならないときに、症状以外のところで人同士のいがみ合いが繰り広げられる、まさしく本末転倒と言わざるをえません。弱毒型と言われる今回の新型でさえ、こんなことなのに、万一強毒型だったらと思うとぞっとします。
人間同士が不信に陥り、醜い性が露わになっているという、映画のような事態は何としても避けねばなりません。

そのためには、地域社会が協力すること、行政が正しくリードすること、過剰な報道は慎むことが大事です。一方で我々もメディア情報に振り回されるのではなく、その内容を冷静に受け止め、煽りには「おかしいぞ、これは大げさにやってる」と判断する目を養いたいものです。

逆に今、感染拡大が続いているのにほとんど報道されないというのも問題です。人々がマスクをしなくなったのも、今や感染しても報道されなくて済む、批判されずに済む、症状も大したことないという理由からでしょう。感染拡大が沈静化しつつあるという状況があったにせよ、掛け声だけで消えるわけでもなく、マスクの効果がないと分かったからでは決してないと思いますよ。

とは言え、「ひとまず安心宣言」なる掛け声を出さないといけないくらい、地域経済が大打撃になっているのも事実です。有馬温泉では橋やら銅像を消毒していましたが、感染防止にほとんど無意味であることは現場の人が一番ご存知のことでしょう。しかし、これくらいやらないと、一度張り付いた感染地域と言うレッテルは剥がれないのも事実です。東京・千葉や福岡で集団感染が発生している今でさえも、もはやこのイメージが変わらないというのも怖いことです。過剰な報道は慎む一方で、人々が正しい認識を持つように情報を出し続けることも重要でしょう。

政府が言うように、あちらこちらで人が新型インフルエンザにかかるような「蔓延状態ではない」とは言えるかもしれませんが、一方でどこで感染者が出てももはやおかしくない状態なのです。過度に恐れることなく必要な警戒は怠らない姿勢が肝要です。

テーマ:新型インフルエンザ - ジャンル:心と身体

「ゲリラ豪雨」論争、もう一つの弊害は?
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突然降りだす激しい雨。今年の7月から9月にかけて、不安定な気圧配置が続き、「ゲリラ豪雨」とも呼ばれる局地的な集中豪雨による災害が相次ぎました。先日この「ゲリラ豪雨」という表現について適切か否かという議論が新聞に掲載されました。

予測が難しい局地的に非常に激しい雨、という意味を示した表現として、「ゲリラ豪雨」は分かりやすいと言えるでしょう。一方で「戦争を想起させる」として公の機関では使えないという意見もあります。

ここから私の意見になりますが、まず私も「ゲリラ豪雨」が好ましい表現とは思いません。それは戦争云々ではなく、いかにも今年始まったかのような異常気象を連想させ、そのメカニズムの考察や災害に対する備えに対する行動を知らず知らずのうちに疎かにさせる恐れがあると考えたためです。実際、ゲリラ豪雨の原因は、イコール地球温暖化に結びつけた人も多かったでしょう。もちろん地球温暖化は深刻な問題であり、対策を考えていかねばなりませんが、物事はそう単純ではなく、しっかり個別に考えていかないと、間違ったアクションになりかねません。地球温暖化だの、挙句の果てには中国の人工消雨のせいだのと言うことにして納得し、それ以上の思考が停止してしまっているのではないでしょうか。

あと気になるのはそれに伴う「思い込み」の増加。ちょっと大雨や強風があっただけで「50年住んでてこんなことは初めて」なんて言う人がいますが、そんなことあるわけない。10月に一気に気温が下がって肌寒くなった時がありましたが、「日本から四季がなくなる」とは大げさにも程があると思いませんか。集中豪雨による災害は何十年も前からあったのに、いかにも異常気象だけが原因かのような思い込みはいただけません。

もっとも、「ゲリラ豪雨」と言っても、確かに何時にどこで豪雨になるという予報は難しいでしょうけれども、「今日はこれらの地方で局地的な大雨になる可能性はある」という予想くらいは十分に得られる世の中なのです。不意打ちの地震よりかはよっぽどか対策は立てやすいはずです。インターネットでは刻一刻と変わる雨量レーダーを見ることもできます。ネットを使える人はこうした手段をこまめに活用し、情報を待つだけでなく自分で考える習慣を身につけませんか。また、自治体もこうした雨量情報や川の水位などをウォッチし、災害を、特に浸水で人が亡くなるような事故を未然に防げるシステムを構築していくことが大事ではないでしょうか。

テーマ:天気 - ジャンル:ニュース

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