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学習指導要領移行措置に問題アリ
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2011年度から学習指導要領が改定される予定で、ゆとり教育が見直され、削減されていた学習内容も復活すると言う。それに伴い、学年が上がった時に未学習分野が出ないよう、今年度より移行措置として、追加内容の小冊子を配布していると言う。この件についてNHKニュース9でいくつかの小学校での取り組みが紹介されていた。

まずは小学4年理科で、気温の変化を観察する内容が追加された。教科書にはデジタル温度計を使って時間ごとの気温を記録し、後でパソコンにデータを取り込む実験が紹介されていた。「やってみたい人?」との先生の問いかけに威勢良く「はーい」と手を挙げる児童たち。しかし先生の答えは「残念ですが実験は諦めてください」と言うものだった。「もっと早く移行措置を言ってくれないと、デジタル温度計が手配できない」と嘆く先生。結局、昔ながらの赤い液体が入ったアナログ式の温度計に紙パックで遮光する工作をして観察することになったが、工作に時間を取られて時系列の変化は実験できなかったと言う。
ちょっとちょっと…と言いたくなる。デジタル温度計+パソコンがないと、まともな実験ができないと言うのなら、10年以上前の子供は皆、ロクな教育を受けていなかったことになってしまう。そんな高価な教材を使わなくても、工作の時間をいちいちとらなくても、日常の生活体験や天気予報のデータを活用して、より身近な形で学習に取り入れることはいくらでも可能だ。工夫が足りないのではないか。

次に、小学6年でホウセンカの茎を観察する内容が追加されたため、6月の学習に間に合うよう、4月の放課後、慌てて先生が種まきをする姿があった。ええっ、そんなお膳立てまで先生がやるのかと愕然とした。高学年が観察日記をつけるべきとまでは言わないが、種まきや水やり、肥料をまくところなどは、やはり妥協せずに児童自身が先生とやっていくべきだろう。もちろん全国にはそうしている学校も多くあることは知っているが、中にはこんな学校があったのかと驚いた次第である。

さらに極めつけは水曜日の給食での一コマ。先生が「給食の時間が半分過ぎました。私語はせずにさっさと食べきるように」と児童を急かしていたのである。これは、移行措置により不足する授業コマ数を増やしたい一方で、習い事などの関係で終業時間を遅らせることはできないため、大休憩も昼休みも掃除の時間もすっ飛ばして、しかも始業を15分繰り上げて午後の5時間目の授業を追加したのである。工夫しているようではあるが、実は何の工夫もない、子どもに大きな無理を強いる施策である。これでは水曜日が地獄曜日になるだけではないのか。
勉強時間を確保するための施策は必要ではある。しかし、45分の授業コマにとらわれるからこんな無理なことが出てくるのだ。25分程度のモジュール学習方式を1週間に2回行えば、これでしっかり1コマ増やせるのである。もちろん体育や図工などの教科は適さないが、算数・国語などの基礎基本を強化していくにはむしろこの方が良い場合がある。他にも、各先生が授業での時間の使い方を見直し、例えばプリントを配る時間、連絡をする時間、ひょっとしたらチャイムが鳴ってから先生が教室に来るまでの時間を見直すだけで、十分に目的を達成できるかもしれないのである。授業時間を増やすことは手段であり、目的ではないことを勘違いしてはならない。今はまだ移行段階なのだから、授業時間の増加をコミットする必要はなく、むしろレベルの向上や効率化に取り組んだ方が良いだろう。
十分な工夫をせずに移行措置にもたれかかり、そのあおりを食って、給食もオチオチ楽しめないのは何より子供たちが気の毒でならない。

先生方は上記の事例をどのように思っているのだろうか。現状とりうるベストな手段と思っているのか、様々な制約条件の中で不本意にもこうなってしまったのか。どうも私としては現場の工夫がもう少しあってしかるべきと思うのだが…。
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テーマ:小学校 - ジャンル:学校・教育

極端だが重要なトレーニング
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今年の大学入試センター試験の英語リスニングテストで、昨年同様プレーヤーのトラブルが相次いだ。また、各大学の入試には毎年のように出題ミスが発覚し、この場合は通常、全員を正解にする措置が取られる。もし、運悪くプレーヤーが故障したり、どうやっても正解がないような問題に遭遇したとき、落ち着いて対処するにはどうしたらよいだろうか。

そこで私は、学校や塾の先生に、極端だが重要なトレーニングを提案したい。それは、授業中などの模擬テストのとき、わざと30台中1台不良のプレーヤーを入れたり、わざと解けない問題を潜り込ませるのである。そのような状況になっても、落ち着いて不具合を申し出たり、解けない問題は後回しにするなどの対応が必要なのである。だから、訓練として実際に行ってみるとよいと思う。ただし、前後のフォローをしっかりしておかないと、教師によるただの意地悪としてクレームになってしまうから、そのあたりは生徒に対して訓練の意味を丁重に説明しておくようにしたい。

そう言えばちょうど12年前のことになるが、当時私が塾講師をしていた頃、似たような訓練を生徒に実施したことがある。中学受験に一度不合格になってしまった生徒が、二次募集の合格をかけて日曜日の特訓に来ていたのだった。弱冠12歳の子どもたちが、この追い詰められた状況下で実力を出しきることはかなり難しい。そこで、この苦しい状況を皆で共有し乗り越える雰囲気を是が非でも作りたかった。
そこで、易しめの10分間テスト問題を配り、10分間のテスト中、先生である私がブツブツと生徒が考えそうな不安や愚痴を声に出してわざと心を乱すという試練を与えた。この訓練法はもし失敗したら生徒が余計落ち込むというリスクを抱えての賭けでもあった。だが、やってみると生徒はほぼいつも通りの力を出し、全体の雰囲気も「最初うるさいなあと思っていたが、気にならずできた」という感想が続出。荒療治ではあるが、こうした試みもあながち間違いではないと思ったことがある。

いつ遭遇してもおかしくない”不運”。でも置かれている条件は皆同じ中で、いかに自分の実力を100%発揮できるか。そのためにはこうした観点の訓練も検討されてはいかがだろうか。

テーマ:大学受験 - ジャンル:学校・教育

英語学習の目的を考え直そう
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小学校での英語必修化を巡って議論が過熱している。

これまでも多くの小学校で、総合の時間などを使って英語活動が盛んに行われていた。しかし、その実態は、中学校英語への橋渡しであり、英語に親しむと言うことに重点を置いているが故に、ともすれば”歌って踊ってゲームする”だけでよしとされてきた感が否めない。小学生だからもちろん楽しむ要素を取り入れるのは良いことであるが、具体的な到達目標がなく、結局中学に入るとアルファベットから勉強しなおしであった。これではあまりにもったいない。英語”教育”という形に強化していくと言う流れは自然である。

しかしこれには慎重論もある。十分な国語力を身につけるべきという意見が根強いのである。確かに日本語能力以上に英語が身につくとは到底思えないからである。

ここで賛成派も反対派も再度よく考えてみたい。何のために英語を勉強するのか、そして今の英語教育のどこに問題があるのか。この認識がずれると、かみ合った議論はできる訳がない。

英語と言うのは、外国人とコミュニケーションをとるための最強のツールである。英語はアメリカ・イギリス・オーストラリアなど英語圏はもちろん、韓国・インドなどアジア圏などでも広く話されている。つまり、お互いの母国語を知らなくても英語を勉強している非ネイティブの外国人と、英語を介して意思疎通できるのである。そして、海外に出かけたときだけでなく、日本にいるときでさえもグローバル化している今は外国人と接する機会が多くある。その意味で英語の必要性が高まっているのだ。

そのとき、自分の意思・気持ちをいかに英語で伝えるか、そして相手の気持ちを知ることができるかが大事である。目的は英語を学ぶことではなく、外国人と意思疎通するスキルを身につけることであり、英語はその有効な手段なのである。
その中で、もちろん英語と日本語が相互翻訳できればよいと言うものではなく、文化や考え方の違いをしっかり理解した上で、相手を尊重する考えを伴わなければならない。

では、現在の英語教育は何が問題なのか。中学では高校受験を意識し、高校では大学受験を意識し、大学では単位をとることだけにこだわり、そして小学校では歌って踊ってゲームなのである。どのステージでも外国人とコミュニケーションする力をつけることを十分意識できていないことが問題ではないのか。
そこをトータルで見直さない限り、英語教育をやみくもに低年齢化しただけでは効果は薄いだろう。
ただ、その上で何が適切かを考えたとき、中学校で英語圏の小学校低学年レベルの英語から習っていたのではお粗末。小学校高学年におろしてきても十分理解可能と考える。また、最終的に必要な語彙数を考慮すると、高校段階でひたすら詰め込むよりも、小学段階から最低限の単語力を身につけておいたほうが良いだろう。

もちろん国語力が必要という考えには同意するが、だからと言って英語が不要とは思えない。実は国語も英語も両方必要であり、現実両方足りていないのである。国語なのか英語なのか2者択一のような短絡的議論を避け、全体としてどうあるべきかを考えるようにしたい。

テーマ: 英語・英会話学習 - ジャンル:学校・教育

未履修隠し発覚、教育機関の資格なし
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私のブログで昨年秋に何度も警鐘を鳴らした必修逃れ問題。未履修だっただけでなく、その事実を隠し、偽装する。そんな高校はまだあるのではないかと問う投稿を何度もした。
それが1年後の今頃になって発覚した。

未履修問題、発覚後も継続

これはとんでもない話である。日本史や情報Aの授業が少なくとも一部他の科目にすり変わっていたのを巧妙に偽装し、補習なしで卒業させていたらしい。

全国であれだけ問題となって、500を超える高校が未履修を報告している。申告した高校の生徒は、卒業が近いにもかかわらず最大70時間もの補習授業とレポートという、事実上の罰則を与えられた。正直に申告したが故に貴重な時間を割く羽目になった全国の約2万人とも言われる卒業生達のことを考えると、これはもう「知らなかった」で済ませてよい問題でもないし、謝って終わるような問題でもあるまい。

しかも注目すべきは、発覚した学校が県教委の監督下にあるはずの県立高校だったということ。県が間接的にしか関与しない私立高校となれば、その実態は推して知るべし…ではないか。下手すると他校も続々発覚し、昨年の大騒ぎが再燃することも十分ありえると私はみる。

仮にも高校は教育機関である。「生徒の大学受験のためを思ってやった」など不正の言い訳にもならないし、このような履修漏れ隠しを続ける学校に、高校はおろか教育の資格もない。校長ら関係者に対して厳しい処分をして欲しい。悪質さから考えれば、書類偽造などの犯罪で立件しても良いくらいだ。

また文科省は、やはり生徒や親も含めて履修漏れ隠し・偽装などを知った者がしっかりと通報できるように、窓口を整える必要があるのではないか。
過去記事:運動会を見直そう
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今回は2006年9月19日に他サイトで公開しました記事をこちらに移転して再掲いたします。
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私の住む市立の小中学校では、今まさに運動会シーズンです(中学校が9月17日、小学校が9月23日又は24日)。毎年熱中症でバタバタ倒れるニュースを聞くたびに「なぜ暑さの残るこの時期にわざわざやるの?」と思うのですが、やはり性懲りもなく9月中旬から下旬での開催です。本番がこの時期ですから、練習期間が2週間と考えますと、炎天下のうちから練習開始したことになります。私の小中学校時代は、小学校のとき10月10日、中学校のとき9月最後の週末でした。当時と比べ、半月近くも前倒しされています。何の意味があってそうなったか分かりませんが。

数年前、母校の小学校の運動会プログラムを見て愕然としました。私の当時と比べてプログラム内容が大幅に削減されています。私の頃は、手旗を持って行進するプロムナードや、組体操、鼓笛隊など、ボリュームのある演技が目白押しでみっちりと夕方遅くまで日が暮れるまで練習したものです。その分、当日は観客の方(親が中心ですが)に満足してもらえたと思いますし、達成感がありました。今のプログラムでは、プロムナードはとっくの昔に廃止され、鼓笛と組体操と全校おどりをごっちゃにしたような「○○やっちょん」なるもの1つで終わらせています。それだけに、ああ、退化しちゃったなあという感は否めないのです。

さらに、学年別リレーも軒並み廃止し、高学年なのに”徒競走”とは情けない。リレーにすると遅い子がいじめられるからその配慮をしたのかもしれません。しかし運動会も教育の一環とするならば、競技を通して得るものがあるように、やり方を工夫して欲しいです。徒競走がその答えでは”教育の放棄”としか思えません。

もっと書きますと、これもいじめ対策なのか画一主義か分かりませんが、得点の入る種目が激減したことも気になりました。徒競走では点数のつけようがありませんから、学年種目の「竹取物語」「球入れ」など3種目に、選抜メンバーによるリレーなどを加えた計5種目程度しか得点が入りません。プログラムは減ったとは言え28番まであるのに、これでは貧相極まりないです。

5年前、母が、まだ歩けた父と一緒に運動会を久しぶりに観に行ったとき、「子供達も先生も”適当に、ええ加減に”しかやってなく、見ててしょうもなかった」と残念そうに帰って来ました。得点種目の激減も士気に影響したかもしれませんね。スポーツでも何でもそうだと思いますが、一生懸命の真剣勝負を見れば点差関係なく一番面白いに決まっているのです。あからさまに手を抜いたと分かるような演技を見せられるほど、見ててくだらないものはないと思います。このままでは、”運動会は時間の無駄”という評価をせざるを得ないでしょう。

私の当時のように夕方遅くまでやみくもに練習することが必ずしも良いとは思いませんが、やるならやるで練習・本番含めて一生懸命やってほしいものです。年に一度の運動会、単なる”形骸化”した恒例行事に留まるのではなく、運動会を通して子ども達が一回りも二周りも成長し、一体感を醸成することができるよう、今こそ運動会の意義を見直すべきではないでしょうか。
模索が続く英語教育
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近年は小学校での英語教育が行われています。しかも1年生から。

小学校のホームページを拝見していますと、外国人の先生を招いてネイティブの発音を聞きながら、ゲームや歌で楽しく勉強している様子が伺えます。
その一方で、小学校の英語教育について、現場の先生方が苦労しながら模索されている様子も見受けられます。そして、どうも変な英語が登場しているではありませんか。

A: How are you?
B: I'm fine, thank you. And you?
A: I'm fine, thank you.

これ、多くの大人が最初に習った英語ですが、ネイティブの人に言わせれば、「間違いとは言わないけど、こんな使い方はあまりしない」でしょうね。特にAnd you?はあまりに教科書的。一般的にはHow are you doing?の方が用いられます。

さらに悲惨な英語がありました。道を尋ねるのに、
Please teach the route to the station?
ですって。こんなケッタイな表現を繰り返し習う小学生は気の毒です。
ご存知の方には何も難しくありませんが、定石の表現があります。
Could you tell me the way to the station?
のようにtell me the way toを使ったり、
Could you tell me where the station is?とか
How can I get to the station?等などです。

teach the route toと言って外国人に通じないこともないでしょうが、きっと後で笑われます。勝手な作文をせず、一般的に通用する表現を教師自身が勉強し、きちんと教えてほしいものです。

テーマ:小学校 - ジャンル:学校・教育

未履修問題、”私学の独自性”に疑問
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弊サイトで何度も取り上げてきた未履修問題(別名、「履修漏れ」とも「必修逃れ」とも言われる)。
隠蔽を続けていると噂されていた神奈川県の桐蔭学園。最近になってとうとう大規模な未履修が発覚した。3月末に発覚する最悪シナリオを免れただけ幸いしたと言うべきだろう。
履修漏れへの2つの意見
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皆さんは履修漏れ問題に対する意見としてどちらが正しいと思いますか?

1.必修科目はきちんと履修すべきと思います。なぜなら、履修漏れの生徒達は、大学受験に必要な科目に時間を割いており、きちんと履修した生徒との間で明らかな不公平が生じるからです。
その意味で政府がまとめた救済策はいただけませんねぇ。履修漏れと言う間違ったことをしたわけだから、それを正すのが大人の役目でしょうが。350時間の不足があるのなら、350時間分きっちり耳を揃えて補習を受けさせて欲しいものです。
履修済みの生徒が損をする、つまり「正直者がバカを見る」ことだけは避けていただきたいものです。

2.履修漏れ高校に通う高3です。大学受験を目の前にしてこの問題が発覚し、精神的に混乱しています。
必修逃れになっていることもこの問題で大騒ぎになるまで一切知りませんでした。私たちは今まで怠けていたわけではありませんし、必修逃れをしてくれと学校に頼んだわけでもありません。学校の時間割どおり、真面目に授業を受けてきたのです。
なのに、なぜ今頃さらに補習で苦しまなければならないのですか。だいたいからして卒業生にはお咎めなしなのに、私たちにだけこのような罰則同然の補習なんて納得できません。
悪いのは校長や必修逃れを認めた大人であり、私たちには責任がないはずです。履修済みの生徒が不公平に感じるのは分かりますが、だからと言って補習はおかしいと思います。
いじめ自殺予告への懸念
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 いじめによる自殺が後を絶たない。自殺したニュースを毎週聞くたびに、いじめに毅然とした対応ができていない学校、陰湿化するいじめに対して怒りを覚える。また同時に、これほど連鎖的に死を選んでしまうのは安易ではないのかと疑問も生じている。

 先週、文科省にいじめによるものと見られる自殺予告文が届いた。「事態が変わらなければ11日に学校で自殺する」と書かれてあり、”豊”がつく消印が押してあったという。文科省はこの手紙を公開した。
 最も有力と見られる東京都豊島区内の小学校では、10日深夜から明かりをカンカンとつけて警戒にあたっているらしい。
履修漏れ隠しがもたらす最悪シナリオ
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履修漏れ発覚は徐々に散発的になり、事態は一見鎮静化しているかに見える。履修漏れ隠しを今も続けている学校関係者の方々にとっては良い傾向だろう。(皮肉たっぷりです…)

http://www.asahi.com/life/update/1109/003.html
この記事にあるように、特に私立の場合、生徒や教員が履修漏れを認めているにもかかわらず、学校から「適切にやっている」と回答されれば、「言い分を信用するしかない」(都私学部)のが現状だ。
”公然”と行われている履修漏れ隠しに、何故こんなに手をこまねいているのだろうか、理解に苦しむ。

また、和歌山県内では8日、近大新宮高校の履修漏れが発覚した。智辯和歌山に続き県内5校目(うち私立4校)となる。ボロボロと発覚が続いているにもかかわらず、県は「回答を信じるしかない」とはこれ如何に。
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