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暴走が止まらなくなった橋下知事(下)
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前回は橋下氏の政治手法について、その根本の問題を考察しました。原点に戻って何が問題かを認識しておかないと、彼の煽った言動に多くの人がフラフラと揺らいでしまうかもしれないと懸念しています。私は大阪市民でも府民でもありませんが、関西圏に住む者として、橋下氏が世の中に与える影響力は実感しますし、それだけに間違った方向に向かうことを見過ごすことはできないのです。

もっとも、「やらされ」で良いんだ、自分も「やらされ」まで追い込まれないとやらないのでこれくらいでよい、と考えて橋下氏を支持するのであれば、それはそれで一つの考え方になるでしょうし、尊重されなければなりません。そこまで考える人の割合が多数なのであれば、筆者もある意味それを受け入れその中で(遺憾ですが他人を不幸に蹴落としてでも)勝ち残る方法を考えるしかないでしょう。

しかし問題なのはそこまでの覚悟をしている人はごく少数と思われ、有権者の約4割は、「なんとなく」支持している層ではないかということです。その背景をもう少し探ってみましょう。

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1.橋下氏の人物像イメージで「なんとなく」
「橋下さんならなんとかしてくれそう」「結構男前やから好きやわー」という感じでしょうか。大阪維新の会が進める区民会議がよい例ではないでしょうか。報道によれば、参加者の大半は政治に関心があるのではなしに、「橋下氏に会えるから」会場に来たという感じで、その内容もさながら橋下氏によるトークショー。こうした意識には、住民自らが政治を動かしていくような考え方はみじんもなく、「流行病」の自覚もなく、口をパクパクさせて”エサ”を待っているだけです。

2.国に逆らうことの美学
首相が1年で次々に変わるなど、国が弱体化してきました。政府の反対のことを言っておけば「そうだそうだ」と言ってもらえるご時世です。震災・原発対応がまずいからと言って、それに負けず劣らずそれ以上に怪しい大学教授の言うことの方が圧倒的に信用されるくらいです。世の中に閉そく感が漂っている中で、国などの権力に逆らうこと、何でもよいから大胆に変えてしまうことが美学という風潮さえあります。これらの背景から、国政の既存勢力とは異なる地方初の独自色の強い地域政党が力を持ってきているのです。例えれば、戦国大名が日本転覆を狙って準備を進めている状況とでも言えましょう。
一方、こうなってしまったのには腐敗した既存政治勢力という面も当然あります。有権者の多くはもはや、改革のあるべき姿を知らない状況にあるのです。だから、改革改革と叫んでおけば、現状を打破して何かしらバラ色の将来につながると錯覚してしまうのです。既存政党には不信の目で見られていることを自覚したうえで、信頼回復のためにも「これこそが改革」というものを出していただく必要があります。
もちろん、あるべき改革が行われ理想とする世の中へのベクトルが一致するならば、筆者としては劇的な変化は大いに歓迎ですし、国の体制が変わってもかまいません。しかし現状は、もやもやとした不満があるから、単にその逆のことを言っているだけにしか見えないのです。こういう世の中だからこそ、地に足をつけてよりよい姿とは何か真剣に考えていくべきです。それが遠回りに見えて解決への近道になり、それを実行することが真の改革になるはずです。

3.政治の娯楽化
ここ20年くらいで政治が頻繁にワイドショーなどで取り上げられ、政治がショー化、劇場化、娯楽化してきました。自分たちの暮らしにかかわることが決められるにも関わらず、それはまるで人事です。この状況下では、粛々と政治が行われることは仮に内容が良くても評価されません。むしろ、混乱し次々と面白い出来事が起こる方が支持されてしまうのです。そして、善し悪しではなく、「スカッ」とする施策を求めるのです。
橋下氏はその意味で、平松市長や関電との非建設的なバトル等でネタを作り、住民の意見を代弁とばかりにスッキリさせてくれます。しかしそのスッキリ気分爽快で何が変わるのかをしっかり見ていくと、特に最近の内容は中身に乏しく、周囲との対決そのものが無駄に見えてくるはずです。昨年までならば、半分でも中身が伴っていたように感じます。

4.上記事象が高じて、盲信的信者に
これは少数派かもしれませんが、人を信じ切ってしまうと、ともすれば本人が一言も言ってないことをさもやるかのごとく勝手に解釈し、それが支持理由になってしまうというものです。ネット右翼の中には「在日や生活保護の連中を排除してくれるなら」とか言っていますが、橋下氏は一言も言ってません。色眼鏡で見ることにより、ありもしない施策が登場し、さぞかしやってくれるかのごとく思いこんでしまうのです。
多少の想像は全否定するものではありませんが、思い込み一点集中で判断し欠点・デメリットに目をつむることに繋がってしまうと、これは大いに問題です。「恋は盲目」という表現が当てはまるかと思います。多数派ではないかもしれませんが、本当にあり得る話です。
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上記のことを考察しましたが、それらの軽い考え方で支持したり投票先を決めるのは、次こそは後がないと考えなければなりません。前回書きましたように、大阪の政治のみならず、世の中のあり方(日本全体)を決めうる選挙です。大阪以外の人も他人事と単に煽ることはすべきではありません。「やって失敗した方がマシ」「やりすぎた分は後で軌道修正すればよい」などと安易な考え方も禁物です。失敗したら取り返しがつかないほどの傷になると認識すべきです。
幸か不幸か、その手法の異常さはすでに顕在化しており、それになんとなく気づいている人も多いと思います。おかしいと思うなら今こそ止めるべきです。是認されればこの程度で済むとは思えません。法律の範囲という制約条件があるからこそこの程度で済んでいるのです。もし権力拡大で憲法や法律による縛りがなくなれば、もっと強権的な手段に出ていることでしょう。そうでなくても今回の選挙で是とされれば、手法はより一層先鋭化し、混乱に拍車がかかるのは目に見えています。
「なんとなく」選んだ有権者がその結果に責任は持てないでしょう。

違法行為是認者の竹原阿久根前市長、財源なき減税を民意だと主張する論理破綻が明白な河村名古屋市長よりかは多少レベルとして上であることは認めます。しかし、このままでは「合法的独裁帝国」が完成し、半数の住民が不幸に感じるというリスクを改めて指摘させてください。そして橋下氏は竹原氏を「心から尊敬する」と言ってはばからなかったことを認識したうえで、しっかり考えて投票いただくことを切に願い、この記事をひとまず締めくくりたいと思います。
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テーマ:地方自治 - ジャンル:政治・経済

わがまま典型4パターン
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自己中心的でわがまま、そしてひねくれた性格の人が増えていると感じるこの頃。到底正常とは思えない阿久根の竹原氏はもちろん、例えば読売新聞Webサイトの発言小町や人生案内を見ていても考え方のおかしな人が増えたと感じる。逆に言えば、それは自分自身にも問われることである。そこで自戒の意味を込めて、いくつかの傾向パターンを整理しておきたい。

1.どちらとも受け取れる事象は自分に都合のよいようにだけ解釈する。(軽度)
これはある意味プラス思考であり、必ずしも全否定されるものではない。高校野球で先攻をとれば先制攻撃できると言い、後攻をとれば延長戦で有利と解釈するようなもの。テストの点数が良ければ「自分が頑張ったから」と分析し、点数が悪ければ「テストが難しかった」だけで終わらせるのもその例。しかし物事の交渉などで、お互いが自身に良いようにだけ解釈しておしまいにしていると、後でとんでもない軋轢(あつれき)を生むことになる。
特にうまく進んだと思う時ほど、複数の観点で客観的に物事を見つける習慣が必要である。

2.自分を正当化するために、直接関係がない事象を指摘する。(中程度)
例えばフリーマーケットで自分の子供が汚れた手で商品を触って怒られたとする。親が子供を擁護するために、フリーマーケットで商売をしていた人の服装が変だとか言葉遣いがおかしかったとか、自分の子供は有名幼稚園に通っているとかで理屈を組み立てるとおかしいと思わざるを得ない。
また、私の母の例で恐縮だが、自分の飼い犬が脱走してよその犬に飛びかかってしまった。しかし母はその犬も以前脱走して飛びかかられたことがある、だからお互い様だと。これは確かにそうかもしれないが、だからと言ってよその犬に飛びかかったことの非がなくなるわけではないことは当たり前の話。
つまり、それとこれとは話が別ということ。感情論だけで複数の異なる事象を混同することは避けたい。
阿久根帝国竹原氏が、違法性の高い専決処分を正当化するために、議会の欠陥をことさらに強調することもこの事例だろう。「議会が悪い」「法律が悪い」=「自分の違法行為が正しい」とはならない。正しくは、議会も悪い(かもしれない)が自分の違法行為はもっと悪いのである。
塾講師をしていた時、先輩の先生がある生徒に対して「人のせいにするなよ」と烈火のごとく叱責していたことを思い出した。中途半端な自己弁護はしないほうがマシなのである。というぐらい、人間として基本的なことであり、甘えることなく自己を律することができるようにしたい。

3.自分に都合のよい情報だけを取捨選択する。(中程度)
自分にとって都合のよい情報、悪い情報が混じっているときに、都合のよいものだけを強調する手法。これも全否定されるものではなく、うまく使えば商売上手になれる。家電量販店が11月末まではエコポイント半減を連呼し、今度は来年1月からより基準が厳しくなり買い替えに限られるからやっぱり今がチャンスと煽るのがその例。「エコポイントが半減しました。11月までに買ったほうがよかったのに。」ではいくら正直でも売り手として商売にならない。
一方、名古屋のリコール騒動では、署名集めの杜撰さがあった一方で、選管が厳しい基準で無効にした署名もあったとされる。このときリコールを支援する団体は、選管がすべて悪いかの如く主張することで自らの落ち度を覆い隠そうという意図が透けて見える。少数ながら署名偽造もあったと言い、これは少数であっても犯罪領域である。自分の失点を棚に上げて、選管の審査基準だけをやり玉に挙げるようでは、「おかしいぞ」と思われてしかるべき。
自分の失点は素直に認める、相手の落ち度は粛々と指摘する。ギブアンドテイク両方があってこそ、相手を動かすことに繋がることを認識しておきたい。

4.自分の主張から逆算して事象をでっちあげる。(重度)
上記3.までの手法をもってしても、例えば相手の無関係な落ち度すら見当たらなくなったらどうするか。ここからが重症領域になる。阿久根帝国竹原氏の例が挙げられる。
自分をリコールする団体は自分の改革を否定している。改革を否定するということは、減税やボーナス半減などの官民格差是正を否定している。ということは公務員・議員の味方で増税・公務員厚遇したいに違いない。ということはリコール団体は利権と癒着している、という具合にでっちあげる。まさに「妄想」の領域。
言うまでもなく、リコール団体が問題にしているのはまさしくそうした中傷行為で自分を正当化する手法であり、リーダーとしての資質のなさを問うているのである。リコール団体は改革はむしろ必要と訴え、議会とも一線を引くとしている。ここを見せたくがないために、事象をでっちあげて虚偽の事実で相手を叩くしか手段がなくなっているのである。
根も葉もない噂を立てることは名誉棄損に他ならない。それを自覚できないのは性格というよりもはや病的要因を疑わざるを得ないほどの重症である。
さらに重症化が進めば、でっちあげた事象の通りにならなければならないと考え、鹿児島県志布志市で発生した選挙違反のでっち上げや、昨今問題となった大阪地検によるフロッピー改竄へとエスカレートしていく。

4項目に整理してみたが、当然ながら「一般的な常識人」であれば心得ているだろうし、こういう行動をとったら社会の中では生活に必要な人間関係を築くことすら危うくなる。周囲とトラブルを起こしているような人を見かけたら、上記パターンにはまっているか考察してみるとよい。まあ、4.は極端にしても2.か3.までは心当たりのある人も多いのではなかろうか。筆者も含めて、このようなパターンに陥らないように戒めておきたい。

テーマ:社会問題 - ジャンル:ニュース

ネット右翼・考(11)かくして竹原氏は擁護される
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罰則がないことをいいことに堂々と違法行為を続ける竹原氏。ネット右翼たちはどう見ているのか、どうも意見は分かれているようだ。今回は擁護派の意見を分析し、ネット右翼の心理に迫る。まず日記の前半を引用。

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独裁者=悪・・・いわば、我が国における教育の成果だと言っても過言ではないと断言しよう。
民主主義は万能か?と、問われたときに、躊躇なくYesと答えるのは真性の馬鹿だ。相手にできん。
なぜか?その民主主義によって誕生した某政権を見れば明らかではないのか?
これを「衆愚政治」という。大衆の煽動によって誕生する、愚かな政治のことだ。
つまり、竹原市長はそれを恐れている、いや、拒絶しているという方が適切だろう。
自らの一言一句一挙一動まで監視され、気に入られなければ全国区で流された揚句に脅迫電話までかかってくる。
狂気と言わずしてどう表現すればいいのだろうか?
そんなことされるぐらいなら、独裁者と罵られてもできることをしっかりと着実に遂行する方がまだマシだ。
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かくして間違った歴史は繰り返される、と言いたくもなる内容だ。
論旨を整理しよう。
1.民主主義は、民主党政権を見れば分かる通り万能とは言えない。
2.民主主義は、マスコミの偏向報道による(上記引用の前段で記載されている)大衆の扇動によって生まれる愚かな政治。
3.マスコミに嫌われたら、言動の一つ一つの揚げ足を撮られる。
4.どうせマスコミに嫌われるなら、独裁でも物事を前に進めたほうがマシ。

あえて4段階に分けたのは、理解しやすくするためでもあるが、筆者として全否定をしたくないからだ。
1.2.、もっと言えば3.までは確かにそう言える面もある。まあ、2.についてはだからこそ2005年の小泉政権の郵政民営化での選挙圧勝、昨年の民主党の政権交代、そして今回の民主の敗北があった。ネット右翼の場合、民主が勝てばマスコミ偏向報道による扇動と言い、民主が負ければ民意だと主張するからご都合主義なのであるが。

4.の結論は、能力のない者がすること。一番”道楽”な方法だからである。ではどのように考えたらよいのだろうか。

最も考えるべきは、対マスコミのあり方であろう。ではなぜマスコミは”偏向報道”とやらをするのだろうか。とは言っても今回の参院選を見て分かるように、マスコミは民主支援ではない。大衆の”受け”を狙っているのである。だから風が吹けば民主支援にも自民支援にも回る。政治を娯楽・ショー化して、混乱を楽しんでいるかのようにさえ見える。そうなる理由は、特に民放の場合、放送の受信が無料であり、視聴者に受け入れられることでスポンサー収入を得ると言う業界構造があるからである。解決するのはこの仕組みを変える必要があるが、現実的には難しい。
また、我々が生活する上での価値判断がマスコミ報道に依存している、いや依存せざるを得ないのも現実である。マスコミ批判する者はマスコミ報道なしで生活しているのか。そんなことはないはずだ。マスコミから逃げることは非現実的である。

となれば、現状のレベルの低いかもしれないマスコミと適度な距離を置きながら、自らの施策を誤解の余地がないように丁寧に説明していくべきなのである。マスコミがおかしいところはおかしいと言えばよい、逆にマスコミに指摘されて襟を正すべきは正す。こうしたギブアンドテイクの関係を通して、マスコミのあり方も徐々に変えていくべきであり、そうできる人が有能な人間である。民主主義が愚かな政治なら、あるべき民主主義を定義し、賢い政治にそれこそ改革してみせるのが有能な人間である。

当然ながら、竹原氏の違法行為が、マスコミ報道と”愚か”な民主主義の責任にすり替えられて正当化されることがあってはならない。筆者が最も恐れるのは、竹原氏の違法行為が常態化し、”慣れ”が生じることである。

次に、後半を引用する。
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それにあの市長は改革者を自負している。情報の提供は欠かしていない。
唯一、情報の提示を拒んでいるのはマスコミだけなのだ。市民に対しては公聴会も主催している。
その内容は我々が知ることができないのはやや残念かもしれないが、色眼鏡を掛けされられるぐらいなら知らない方がマシだ。
ここまででハッキリしただろう。彼は何も、独裁をしたいわけではない。
独裁をしたいだけならば公聴会も開かない、ブログも書かない、都合のいいことだけを広報に書く。
あるいは、橋下方式で自分の支持者だけを優遇するといった方策に出るだろう。
それを行わず、議会も置いてあるということは、つまり、市民に方向が向いているということだ。
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もしマスコミに情報を開示しないことで我々が内容を知らないことが事実であれば、なぜここで「市民に方向が向いている」などという判断が下せるのか。

3月に行われた公聴会は”信者”など自分の都合のよい人だけを集め、公務員を吊るし上げの刑にするところだった。ブログには自分の都合の悪いことはスルーし、裁判官の給与が高いだのと、無関係な批判を持ち出して相手を貶め判決無視を正当化している。「都合のいいことだけを広報に書く」とはそのままであり、違法性の強い専決処分をひたすら正当化している。議会も置いてあるとはいえ、開会を請求されても招集しないのに何の意味があるのか。つまり、”殻”だけ残して中身はメチャクチャか空っぽ。

市長支持ありきでものを考える”色眼鏡”という言葉を、そっくりそのまま彼にお返しする。もう少し最新の事実関係を勉強し、あるべき姿を考えてから論じるべきである。

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ネット右翼・考(10)今年の分析内容総括
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ネット右翼の心理を分析するシリーズ第10回。今回は、これまでの分析内容をまとめた上で、最近特に気になることを述べたい。

第2回では、2001年の米同時多発テロを喜ぶ記述。米国が戦争を正当化することに異を唱えるのは分かるが、だからと言って自爆テロが容認されてよいはずもない。他人の命を粗末にして構わない、そして自分の命、家族を大切にしない、人の立場に立って物事を考える配慮がない、と言った問題点が浮かび上がった。

第3回では、拉致問題に関して、被害者家族を中傷する内容を取りあげた。拉致問題の前進は外交努力と評価した結果、それを否定するかのような拉致被害者家族の言動は許せないとの気持ちがあるのだろうが、世の中は片方が全部正しく片方が全部間違っているようなゼロイチの世界ではない。こちらも、人の立場に立って考えることのできないバランス感覚のなさが問題だ。

第6回では、2005年の韓国ノムヒョン大統領の演説で、日本にさらなる賠償を求める発言について、「野蛮人の集団」と評する。朝鮮や中国を十把一絡げに野蛮と決めつけ、是々非々で物事をとらえる姿勢がなく、相手の真意を受け止めようとしない。こうした考え方では、日常生活も成り立たないことが懸念される。

そして第9回では、中国で起きた反日暴動を取りあげた。「キチガイ、大嫌い、死んで」という暴言を平然と並びたてる無神経さでは、自らの愚かさも露呈することとなり、正当な主張すら認められない。自分のことを棚に上げて他を批判するのでは、世の中を動かせない。

私は、だからネット右翼はバカなんだ、という書き方はしない。むしろ、なぜそんな考え方に陥ってしまうのかということに関心がある。上記で記載していることは、保守的であることを否定しているわけでは一切なく、人としての基本的な考え方の是非を問うているのである。繰り返しになるが、こうした問題点は、正当な主張すら相手にされず、結局は損になることを強調しておきたい。

そのうえで、今年の最後のまとめとして、最近のYahoo!ニュースのコメント欄からいくつか取り上げる。
ご存知の通り、鳩山首相の献金問題、小沢氏の秘書問題のニュースでは怒号をはるかに超えたコメントが行き交っているが、それは予想の範囲内。しかし、このニュースで批判対象になるのか…?というのがあった。

下記を見ていただければ一目瞭然だが、全てを民主批判に結び付けることしか考えにないのだろうか。これでは、マスゴミとやらの相手にもならない。
1.年賀状の受付開始
「鳩山、お世話になった故人にも年賀状出せよ。」「小栗旬より、国賊売国奴の汚沢が旬なニュース。」
2.派遣強要でロイヤルホームセンターに立ち入り
「とんでもないことだとは思うけれど、与党の幹事長が議員の公設秘書の給与をかつあげしていたからなぁ。。。
これじゃ、国民はどんどん悪いことに走るよねぇ。」
3.取手市職員、窃盗容疑で逮捕
「民主党は国家公務員だけ締めあげて正義の味方ぶりっこしてるが、地方公務員は野放し。自治労・日教組には頭があがらないから。ほんとうに腐ってるのは、中央から目が届かない自治労・日教組に守られてる地方。」
念を押すが、民主批判、日教組批判が悪いと言っているわけではない。このニュースには何ら関係がなく、コメントとして不適切ということだ。

他に、以前にはこんなものまで。
・8月の地震で高速道路復旧工事
→政権交代したら、「修理の金がない」と言って工事してくれないだろう。→民主批判
・天皇陛下の新型インフルワクチン接種
→なんで今頃?→民主の差し金でわざと遅らせたに違いない→民主批判
・円楽さんの死に鳩山首相が追悼コメント
→あからさまに人気取り狙いの発言→とりあえず民主批判
ここまで来ると、このニュースのネタでどうやって批判材料を無理から妄想して見出すのだろうかと思ってしまう。この勢いでは、鳩山首相が息を吸っただけで批判対象になるのではないか。

このようなコメントが、大手サイトのYahoo!の、しかも時事通信の記事コメントとして垂れ流され続けていることも問題視したい。健全な批判ならば、世の中を良い方向に収斂させる働きがあるのでむしろ必要である。しかし、かのような節操のないコメントで溢れかえっているようでは、Yahoo!も「有害サイト」にされねばならないだろう。公序良俗を保つ自覚をWebサイト側にも求めたい。

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ネット右翼・考(9)責任は己にも問われると自覚せよ
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相手の非を責めるときは、己にも問われることを自覚せよ。

結論から書くが、これが今回のポイントだ。
ネット右翼の心情変化を読み解くため、とある中高生の日記を分析しているシリーズ第9回。2005年4月、中国各地で反日暴動が発生した。中国人の不満のはけ口が日本人に向けられた格好で、現地では日本系の店に投石されたりするなど被害が発生した。また、中国側が暴動を容認するとも取れる甘い施策を続けたため、国際的にも非難を浴びた。

筆者の勤める会社にも中国に工場があり、中国に駐在したり出張したりする社員も多い。「レストランなどでは大声で日本語をしゃべるな」といった指令も出るなど、会社としても危機管理が必要な事態に陥った。日本人が日本語をしゃべるだけで危険だなんて、あってはならない話だ。
中国人が抱く不満は、ひょっとしたら実は真っ当なものだったかもしれない。しかし、暴挙に出た時点で説得力を失い、その不満の中身にも目を向けられることもなく、世界中から相手にされなくなる。当人たちにとってもこれでは損していることになると気付くべきだ。

しかしである。例の中学生の日記の文面を見ていただきたい。
「あぁ、キチガイだ。頭逝ってる。」「中国韓国大嫌い!!死んで!!」「中国韓国バカじゃん。死ねよ」「アホだね。キチガイの塊だね」という暴言を並びたてた。
もう一度書くが、これは批判ではなく暴言である。日記では、中国での徹底した反日教育が生み出した偏った愛国心が原因ではないかと書いている。確かにそうした面も否定できない。だが、そうした本当に訴えねばならない主張も、こうした暴言によって完全に効力を失う。その様は、中国人の暴動と全く同じレベルなのである。

さらに痛いのは、これを同級生の女子に指摘されても意に介さないことである。「中国にバカとか言っちゃいけないよ」と言われても、中国韓国批判しか頭にないためか、「何をおっしゃられているのか理解できません」とせせら笑っている。同級生は何も中国批判をしてはいけないと言っているわけでなく、その言い方に問題があるから気をつけるべきと忠告してくれているのである。
相手が悪いなら「アホ、バカ、死ね」と言っても構わないと本当に思っているとしたら、その程度のレベルであり、中国人の暴動と同じ扱いしか受けない。その事実に早く気付くべきである。

ネット右翼の多くは、他人の批判はとことん人格を無視した悪口雑言を並べるが、自分の振り返りを怠り、それすらも人のせいにしてしまう傾向がある。しかしそれでは「だって○○ちゃんが悪いんだもん」と駄々をこねる幼児と変わらない。批判することは構わない。が、同じことは自分にも問われることを自覚しないと、その主張にいくら正しい面があろうとも、世の中を動かすことはできない。同じ思想の持ち主が内輪で溜飲を下げるだけで終わるのではないか。

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ネット右翼・考(8)人権擁護法案に反対する本当の目的は?
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ネット右翼の心情変化を読み解くため、とある中高生の日記を分析しているシリーズ第8回。

2005年3月中旬、日記で連日声高に、巨大な文字を交えて叫び始めた。
「実際は政府方針に逆らう世論を弾圧」する人権擁護法案が可決される動きがあると。
人権を守り、差別のない社会を作る目的で、人権侵害が疑われるような事例を見つけた場合に、警察とは別の人権擁護委員が令状もなく家宅捜索ができてしまう、ということらしい。どこまで本当かは知らないが。

まあ、ここまでは付き合ったとして、さらに”妄想”は膨張していく。政府への不満を言おうものなら犯罪となり弾圧され、民意を反映せず憲法9条も廃止されるという。もっとも憲法改正はネット右翼にとって都合が良いのだが、この時点の筆者は反米主義のため米国の言いなりで戦争に巻き込まれるのは嫌だという姿勢をとっている。
さらに、外国人にも選挙権・被選挙権が与えられ、果ては米国人が大臣になって日本を事実上の言いなりにするという。結果として日本は崩壊し、北朝鮮と同じになると言う(もう書くだけでバカバカしいが)。

確かに、人権侵害か否かをどこで線を引くのか、人権擁護委員はどのような基準で選出するのか、あいまいなまま進めると危険な方向に進むリスクがあることを十分考慮して、慎重にならなければならないのは言うまでもない。しかし一方でよく考えなければならないのは、なぜこの法案が必要だと考える動きがあるのかということ。ある問題を解決する手段としてこの法案があるわけで、その問題は何なのかを深掘りしていかないと、法案の動きは別の形になっても続くだろう。

日記を読み進めるうちに気になったのだが、実は、ネット上で人格を否定するような品のない悪口雑言をこれまで通りに書き続けていきたいから、その障害となるものには反対するということはないだろうか。過ぎたと思える妄想や理由は後付けでもっともらしく仕上げているだけではないか。
そして、情報をいろんなところから集めているのは分かるが、自分に都合のよい情報だけを、しかも信憑性の低そうなところから漁っているようにも見受けられた。日記の前半で「言論弾圧」で自分のWebサイトに目をつけられることを危惧していたことから、困るのは国民ではなく、ネット右翼自身ではないのかと問いたい。それをすり替えて大げさに膨らませて反対運動しているのではないか。

そうした利害関係はさておいたとしても、物事を評価する時に必ず留意すべきことは、事実に基づいて判断することである。推測はあくまで推測として語る分には問題ないが、どこまでが本当でどこからが憶測なのかすら区別のつかない批判は、他から見て信用に足りないと相手にもされないことになろう。例えばかの前航空幕僚長が原爆集会を伝聞だけで評価したことに、どれほどの説得力があろうか。

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ネット右翼・考(7)「マスゴミ」よりも不確かな情報
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 100年に1度と呼ばれる世界不況が昨年秋に襲いかかった。私の勤める会社も例外にもれず、2008年度中間期決算への影響が懸念された。

 その不安を増幅させるかの如く、親しい友人からメールで情報が入った。Yahoo!の株式掲示板や2chで、うちの会社が倒産するともっぱらの噂になっているというのだ。株価も3日連続でストップ安。ちなみに社内では全くそのようなアナウンスがなく、逆にそれが不気味でもあった。

 しかも、掲示板では倒産した後どうなるかを考えたり、経営陣への責任追及の声が相次ぎ、ここまで書かれているなら本当だろうと信じ込んでしまった。今考えてみると、まったくもって恥ずかしい話である。
 結局、上半期は大幅減益も、通期予想でも黒字を確保する見込みとなり、記事を書いている今も会社は存在している。

 Yahoo!ニュース掲示板や2chではネット右翼と見られる過激な書き込みが溢れ、マスコミや民主党への批判、中国・朝鮮叩きが垂れ流されている状況だが、これを読みふけっている人たちは、自らの批判対象である彼らいわく「マスゴミ」とやらよりも、さらに信頼性の低い情報に踊らされている危険がある。

 物事の一面を見ただけで全て分かったような気になってしまい、妄想を抱いたまま、それを省みることもしなければ、どのような結果になったとしても全て「誰か・何かのせい」にして済ませられる。本人にとっては楽な話だが、批判される側はたまったものではない。

 ネットの情報を利用する人は若者だけでなく、中高年も増加してきており、つい先日もネットに出ていたという別ルートを通ろうとした登山者が遭難して救助要請するという事態が発生している。
 インターネットの情報と上手に付き合うことと、自分自身を反省しながら次に進んでいくことは、非常に大事なことと考える。

テーマ:経済・社会 - ジャンル:ニュース

ネット右翼・考(6)韓国を「野蛮集団」扱いに
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ネット右翼の心情変化を読み解くため、とある中高生の日記を分析しているシリーズ第6回。

これまで反米感情と北朝鮮支持、憲法改正反対の考えを表明していたこの中学生の心理に変化が現れた。ただ、北朝鮮支持と言っても、その後の拉致被害者の遺骨偽装などで疑念は抱いていたようだが…。

その変化の発端は2005年3月のノムヒョン大統領(当時)の演説である。「過去の歴史問題を外交的な争点にしないと公言してきた考えは今も変わりない」との姿勢を維持しつつも、「日本政府と国民の真摯な努力が必要」「過去を真相究明して謝罪、反省し、賠償することがあれば賠償し、和解すべきだ」と追加の措置を求める考えを明らかにしたのだ。

これに対しこの中学生は「野蛮人の集団に賠償を払う必要性が感じられなくなってきた」「それを口実に金を搾り取っているだけ」と敵意をむき出しにし始めた。謝罪や賠償は散々やったではないか、まだ日本から絞り取るつもりですか、これだから朝鮮人は野蛮ですね、というネット右翼的な発想に近づいてきた。

筆者としてこの大統領の発言は、韓国国民の中には、現状の謝罪や賠償が十分でないと考えている人が少なからずいることに配慮したものと考えている。つまり外交上は”決着”したと言っても、国民個々人の中では終わっているとは言えない現実があるということである。日本はこれにどう向き合うべきなのか。

ネット右翼がよく民主党や社民党を批判するためにネタとして使用しているように「賠償金をいくらでも払い続けて日本を売り渡す」のが解ではなかろう。だからと言って、彼らの主張のように「野蛮な朝鮮人めが」と中傷し強硬姿勢に転じることが正解とは絶対に思えない。

人間はハートを持って生きている。一度負った心の傷、身体的・財産的な傷も含めて、おいそれと消え去るものではない。それは逆の立場に立って考えれば分かることである。
韓国国民と言っても、とっくの昔に日本を許して今は何とも思っていない人もいるかもしれないし、された仕打ちの程度によっては賠償が不十分なまま韓国政府が日本と勝手に決着してしまったと受け止めて不満に思っている人もいるでしょう。それぞれのハートをしっかり聞き取ること、認めること、そのうえで是々非々で判断すれば良いのである。十把一絡げに処理されて未だ明らかになっていないこともあるかもしれない”真相”の検証をこれからも互いに進めていきたい、それが大統領の真意ではなかろうか。

それを「野蛮人の集団」と言い放った時点で話は終わってしまうし、それは明らかに人格を無視した発言であり中傷なのである。もし仮に、なんでもかんでも絞り取るのであれば毅然として歯止めをかければよいし、逆に新たに判明した事実があれば誠実に謝罪しなければなるまい。それを日本側が聞く耳持たずで「終わった問題」と一方的にたたきつけるようでは、日本国だけでなく国民の人間性を疑われ、ひいては世界から信頼を失う。

そうした意思疎通は、外交だけでなく日常生活のコミュニケーションでも非常に重要なこと。自分が正しいと思うことを主張するのも大事だが、相手がどう思っているのか、ハートを受け止めることもしないと円滑な人間関係は築けない。自己主張の激しい中学生の年代なら理解しづらいところもあるだろうが、社会に出るまでに気付いてほしい。日記を読んで心から思った。

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ネット右翼・考(5)意外にも?憲法9条改正反対
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ネット右翼の心情変化を読み解くため、とある中高生の日記を分析しているシリーズ第5回。

2005年に入り、憲法改正のことについて語っている。しかし当時の日記では憲法改正には反対の立場なのは意外だった。戦争の放棄をうたった9条の「改正は阻止させる」としている。これは以前に書いた北朝鮮支持と同様に、アメリカへの反感の感情が高じたのが動機となっている。

つまり、アメリカは「日本がまた戦争して他国の利益を阻まないよう」に憲法9条を作ったはずだったが、今では戦争の”駒”として日本を使えないから後悔しているのでは…と考えているようだ。したがって憲法改正すればアメリカの思うツボで、「米帝51州」に落ちぶれ戦争に駆り出されることを危惧しているのである。
アメリカに押し切られないために、国民は「国際社会に対する自立心」を持ち、平和を手に押し切る必要があると説いている。

とここまで書いていた中学生が、3年半後には田母神氏の論文を支持するようになるのはどうしたことか興味深い。反米感情は変わらないと思われるが、憲法改正反対と北朝鮮支持の考え方がどのような経緯で変化していったのか、続きを引き続き分析していきたい。

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ネット右翼・考(4)反戦教育と現実の間で
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ネット右翼の心情変化を読み解くため、とある中高生の日記を分析しているシリーズ第4回。

小学校高学年や中学校では、特に8月前後の時期に反戦教育が行われる。日本による朝鮮半島や中国・アジアの植民地政策、いわゆる侵略行為とも言われている加害の側面を認識することが一つ。もう一つは沖縄戦や広島。長崎での原爆の悲惨さを教えて「戦争はしない」という決意を生徒たちに持たせることである。

しかし、この日記の方は、沖縄戦の結果もたらした多数の米軍基地についてアメリカへの反発を強めている。また、「当時の戦争の悲惨さから考えれば今は平和だ」という言葉にも違和感があるようだ。「米帝にとっての『平和』は、軍旗を振りかざし、他の国をおびえさせ、石油片手に先進国を操作すること」として、アメリカの軍事力を背景に微妙に保たれているバランスに不快感を示している。

「平和なんてありえない」「人間はみな自己利益主義」という冷めた見方。今の状態が正しいとして世の中が動いていることに違和感を抱かずに「戦争は醜い」とだけ理想論をたたきこまれる教育への反発があるように見える。

戦争をすべきだとは思っていないが、戦争がない世の中なんてありえない。反戦教育が唱える理想と、世の中の現実の間で矛盾を感じ、また、今までモヤモヤしていた反米感情や学校教育への不満があいまって、徐々に過激な思想へと導かれていっているのではないかと、日記を読んで感じた。

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