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過去記事:今置かれている環境の中で最善を尽くす
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今回は、2006年8月13日付で他サイトにて掲載した記事をこちらに移転して再掲いたします。
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和歌山県紀の川市の小学校で、通知表の評価を巡ってトラブルがあったとのニュース記事を読んだ。2年生のあるクラスに配った通知表の評価に対し、一部の保護者から「厳しすぎる」と苦情があり、担任教諭が別のクラスの評価と調整して評価し直した通知表を再配布したところ、今度は別の保護者から「子供に説明できない」などと受け取りを拒否されたと言う。

私学受験が当たり前になっている昨今、通知表の評価に神経を尖らせる親が増えていると言うことだろうか。はっきり言ってこの類の理不尽なことは今に始まったことではなく、私の小中学校時代には”日常当たり前の光景”であった。同じくらいの点数なのに担任の先生が変わっていくと、小学3年でガクッと成績が下がり、4年生では「よくできる」が倍増した。中学校のときはもっとひどく、音楽の期末テストで学年トップから3%以内に入り、実技でも完璧に演奏したのに”男子”というだけで10段階評価で7より上には行かなかった(相対評価にもかかわらず)。

まあ、音楽の先生の差別的な仕打ちは論外として、「よくできる」を多めにつけて”褒めて育てる”タイプの先生、真ん中の「できる」を多めにしてよほど優れていない限り「よくできる」にしてくれないやや辛口の先生がいるのは、通知表が絶対評価である以上避けられない。私はむしろ、こうした個性ある評価のつけ方を通して、児童に動機付けをすることが大事だと思っている。つまり、辛口なら辛口で、「あなたなら○○点を目指して欲しい」ときちんとしたメッセージを伴うものならば、納得も得られよう。

それが、クレームの一つや二つでいとも簡単に評価が変わってしまうということは、その先生が、「あまり深く考えずに根拠もなくええ加減な評価をした」と自ら認めたことと同じではないか。私はそちらの方が残念だ。

世の中には毅然として抗議しなければいけない場合と、置かれた状況の中で最善を尽くすことが必要な場合がある。野球だって、ストライク判定が厳しい審判と甘い審判がいて、バッテリーはそれに合わせて配球をチューニングすると聞く。社会の中でも波長の合う人と合わない人がいて、折り合いをつけていかねばならない。いちいちイチャモンをつけていたらキリがない。

今回のケースだと、同じクラス内で”えこ贔屓”があったなら大問題だろうが、クラス全体がやや厳しい評価で統一されているならば、それは担任の裁量の範囲内ではなかろうか。あれこれ文句つけるより、今置かれている環境の中で次にどう活かすか考えた方がよい。
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テーマ:小学校 - ジャンル:学校・教育

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