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ネット右翼・考(11)かくして竹原氏は擁護される
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罰則がないことをいいことに堂々と違法行為を続ける竹原氏。ネット右翼たちはどう見ているのか、どうも意見は分かれているようだ。今回は擁護派の意見を分析し、ネット右翼の心理に迫る。まず日記の前半を引用。

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独裁者=悪・・・いわば、我が国における教育の成果だと言っても過言ではないと断言しよう。
民主主義は万能か?と、問われたときに、躊躇なくYesと答えるのは真性の馬鹿だ。相手にできん。
なぜか?その民主主義によって誕生した某政権を見れば明らかではないのか?
これを「衆愚政治」という。大衆の煽動によって誕生する、愚かな政治のことだ。
つまり、竹原市長はそれを恐れている、いや、拒絶しているという方が適切だろう。
自らの一言一句一挙一動まで監視され、気に入られなければ全国区で流された揚句に脅迫電話までかかってくる。
狂気と言わずしてどう表現すればいいのだろうか?
そんなことされるぐらいなら、独裁者と罵られてもできることをしっかりと着実に遂行する方がまだマシだ。
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かくして間違った歴史は繰り返される、と言いたくもなる内容だ。
論旨を整理しよう。
1.民主主義は、民主党政権を見れば分かる通り万能とは言えない。
2.民主主義は、マスコミの偏向報道による(上記引用の前段で記載されている)大衆の扇動によって生まれる愚かな政治。
3.マスコミに嫌われたら、言動の一つ一つの揚げ足を撮られる。
4.どうせマスコミに嫌われるなら、独裁でも物事を前に進めたほうがマシ。

あえて4段階に分けたのは、理解しやすくするためでもあるが、筆者として全否定をしたくないからだ。
1.2.、もっと言えば3.までは確かにそう言える面もある。まあ、2.についてはだからこそ2005年の小泉政権の郵政民営化での選挙圧勝、昨年の民主党の政権交代、そして今回の民主の敗北があった。ネット右翼の場合、民主が勝てばマスコミ偏向報道による扇動と言い、民主が負ければ民意だと主張するからご都合主義なのであるが。

4.の結論は、能力のない者がすること。一番”道楽”な方法だからである。ではどのように考えたらよいのだろうか。

最も考えるべきは、対マスコミのあり方であろう。ではなぜマスコミは”偏向報道”とやらをするのだろうか。とは言っても今回の参院選を見て分かるように、マスコミは民主支援ではない。大衆の”受け”を狙っているのである。だから風が吹けば民主支援にも自民支援にも回る。政治を娯楽・ショー化して、混乱を楽しんでいるかのようにさえ見える。そうなる理由は、特に民放の場合、放送の受信が無料であり、視聴者に受け入れられることでスポンサー収入を得ると言う業界構造があるからである。解決するのはこの仕組みを変える必要があるが、現実的には難しい。
また、我々が生活する上での価値判断がマスコミ報道に依存している、いや依存せざるを得ないのも現実である。マスコミ批判する者はマスコミ報道なしで生活しているのか。そんなことはないはずだ。マスコミから逃げることは非現実的である。

となれば、現状のレベルの低いかもしれないマスコミと適度な距離を置きながら、自らの施策を誤解の余地がないように丁寧に説明していくべきなのである。マスコミがおかしいところはおかしいと言えばよい、逆にマスコミに指摘されて襟を正すべきは正す。こうしたギブアンドテイクの関係を通して、マスコミのあり方も徐々に変えていくべきであり、そうできる人が有能な人間である。民主主義が愚かな政治なら、あるべき民主主義を定義し、賢い政治にそれこそ改革してみせるのが有能な人間である。

当然ながら、竹原氏の違法行為が、マスコミ報道と”愚か”な民主主義の責任にすり替えられて正当化されることがあってはならない。筆者が最も恐れるのは、竹原氏の違法行為が常態化し、”慣れ”が生じることである。

次に、後半を引用する。
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それにあの市長は改革者を自負している。情報の提供は欠かしていない。
唯一、情報の提示を拒んでいるのはマスコミだけなのだ。市民に対しては公聴会も主催している。
その内容は我々が知ることができないのはやや残念かもしれないが、色眼鏡を掛けされられるぐらいなら知らない方がマシだ。
ここまででハッキリしただろう。彼は何も、独裁をしたいわけではない。
独裁をしたいだけならば公聴会も開かない、ブログも書かない、都合のいいことだけを広報に書く。
あるいは、橋下方式で自分の支持者だけを優遇するといった方策に出るだろう。
それを行わず、議会も置いてあるということは、つまり、市民に方向が向いているということだ。
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もしマスコミに情報を開示しないことで我々が内容を知らないことが事実であれば、なぜここで「市民に方向が向いている」などという判断が下せるのか。

3月に行われた公聴会は”信者”など自分の都合のよい人だけを集め、公務員を吊るし上げの刑にするところだった。ブログには自分の都合の悪いことはスルーし、裁判官の給与が高いだのと、無関係な批判を持ち出して相手を貶め判決無視を正当化している。「都合のいいことだけを広報に書く」とはそのままであり、違法性の強い専決処分をひたすら正当化している。議会も置いてあるとはいえ、開会を請求されても招集しないのに何の意味があるのか。つまり、”殻”だけ残して中身はメチャクチャか空っぽ。

市長支持ありきでものを考える”色眼鏡”という言葉を、そっくりそのまま彼にお返しする。もう少し最新の事実関係を勉強し、あるべき姿を考えてから論じるべきである。
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