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阿久根”市民”を選びますか、”犯罪者集団”になりますか?
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阿久根の問題について、当ブログではこれまで10回以上にわたり様々な観点で取り上げてきた。筆者がなぜここまで阿久根の問題にこだわるのかを鑑みると、やはりコンプライアンスを避けて語ることができない。

民間企業にとって何よりも重要なのは社会的信用であり、それは魅力のある製品やサービスを良い品質で提供することであり、経営基盤を強化し利益を創出して投資家の信頼を得ることでもあり、法令を順守し企業が継続的に発展することで社会に貢献することでもある
その中で法令順守は約10年前から重視されるようになった。前回まででも述べたように雪印による食中毒事故とその対応を巡って世間から痛烈な批判を浴び、それまで優良な業績を残していた会社の存続さえ脅かす状態となった。マスコミの批判報道で企業イメージが地に堕ち、一度の不祥事が何十年と培ってきた会社の信用をいとも簡単に失墜してしまうことを目の当たりにすることになった。他の会社の経営陣にとっても決して対岸の火事とは言えず、むしろ他山の石にしなければならないと肝に銘じることとなり、コンプライアンスという言葉が登場するに至った。

以降、法令順守は最低限の責務と社会で認識されるようになり、違法行為は社会やマスコミから厳しく批判されることとなった。また、違法行為とは言えなくても法の抜け穴を利用するような脱法行為やモラルに反するような行為も結局は長続きすることなく、カリスマ経営者たちが次々に表舞台から消えていった。
また、コンプライアンスは法令順守はもとより、万が一違反してしまった場合の対応についても定義されている。事実の把握が遅れ1日でも対応が遅れただけで、世間の批判は嵐となって襲いかかってくる。逆に経営陣がリーダーシップを発揮して、違法行為を是正し再発防止の仕組みを整備するのに動けば、不祥事のはずが信用をかえって増すことにもつながりうる。
民間企業が他の企業と取引をする際にも、こうしたコンプライアンス体制やCSR(企業の社会的責任)体制が確立されているかどうかが一つの大きな基準となる。違法行為の恐れのある会社と取引することは後に不良債権を抱えるリスクにもなり、また自社に落ち度がなくても怪しい会社と取引しただけで非を問われる懸念も生じるためである。以上は常識のある普通の企業が、当たり前の感覚として持っていることであり、逆にコンプライアンスができていない会社は、いかに良い商品・サービスを提供していようと、ビジネスの土俵から遅かれ早かれはじき出されるのである。

長々と前置きをしたが、なぜここまで説明したかと言うと、法令順守というのは民間企業においては必須事項であり、自分の好き嫌いや感情に任せて、都合の良いときだけ適用の是非を選択してよいものでは決してないことを読者のみなさん、特に学生の方や主婦層・高齢者の方に認識いただくためであった。

それを念頭に置いたときに、阿久根の現状は仮に市民の利益のためであっても、過去にそうしたくもなる背景があったとしても、到底許されることではないばかりか突出して悪質である。
第一に、コンプライアンス違反を故意に行っていること。違法という自覚がない状態でなされたうっかりミスであっても社会からは指弾され潰れていく会社が多い中で、阿久根の法令違反は故意に行われている点で既に特筆すべき状態にある。米国特許は侵害すると多額の賠償額になることで知られるが、故意侵害だと賠償額が3倍になる。人を死に至らしめた場合、うっかりなら過失致死、故意なら殺人になることからも、故意の悪質性が問われる。
第二に、コンプライアンス違反が継続的に行われていること。何らかの不祥事を起こした人は、通常はその1回限りであとはおとなしくしているケースがほとんど。そのたった1回の違反でも取り返しのつかない状態に陥る企業が多い中で、阿久根の場合は違法行為や脱法行為が繰り返し行われ、防災無線で演説するなどモラルに反する行為が日常茶飯事になっている。感覚がマヒし、悪いことを悪いと思わなくなっている。
第三に、コンプライアンス違反が是認・賞賛される風土があること。法律違反が指摘されれば直ちに是正に動くべきところ、「法律が悪い」「知事と戦うとは大したもの」と賞賛する住民さえいる。言わば、住民挙げての社会の法秩序に対する挑戦である。だから筆者は犯罪者応援集団と言い表しているのである。もし竹原氏が再々選されるようなことがあれば違法行為を是認する勢力が過半数となるので、犯罪者集団に格上げとなる。

阿久根では2011年1月16日に出直し市長選が実施されることになっているが、住民の皆さんには上記のことを自覚したうえで投票していただきたい。先日の住民投票ではその点、認識の甘さがかなり感じられた。リコールに賛成した人でも「専決処分は自分の好みではないので…」程度の認識しか持っていない人が多く、危機感が薄かった。
そんな軽い選択ではない。つまり、「社会で生きていくのに最低限の法令を順守した”市民”になる、というか市民に戻りますか」、それとも「社会全体や法秩序を敵視し、戦いに要するであろう無駄なエネルギーやお金を費やしてでも竹原氏を支援する覚悟はありますか」ということである。竹原氏は公務員や議会、自治労と戦うことにすり替えているが、そんな狭い話ではない。法秩序に挑み社会全体を相手に戦う以上、”犯罪者集団”として世間からはじき飛ばされる覚悟を持っていただかねばなるまい。

現在の阿久根はコンプライアンス違反によるイメージ低下と連日の報道で、血がダラダラ流れている状態である。そして竹原氏が市民に対して「社会全体のために犠牲を引き受ける覚悟」を求めている(ブログ記載)。文言はかっこよいかもしれないが、自分の考えを実現するために社会全体を敵に回し戦う覚悟のことである。昨年5月の選挙で当選した際の「選んだ皆さんに責任を取ってもらう」とはこのことである。
竹原氏の支持者住民がどこまでこのような反社会的な考え方をも理解しているかは非常に疑問であるが、察するに失うものが何もない(得たいとも思わない)、次の世代に残すものが何もない、でも社会に対する不満の鬱憤晴らしはしたいという発想が根底にあるかもしれない。中身があれば違法だろうがなんだろうが構わないという理屈は、まさに反社会的集団やテロリストと同じである。
ここで社会の一員(市民)として止血をして地に足をつけて歩きだそうとするのか、それともイメージ悪化をもマスコミのせいにし、反社会的集団として血がダラダラ状態から血しぶきが上がり再起不能になる可能性をあえて選択するのか、住民のより広い視野での良識が試される。
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テーマ:地方自治 - ジャンル:政治・経済

わがまま典型4パターン
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自己中心的でわがまま、そしてひねくれた性格の人が増えていると感じるこの頃。到底正常とは思えない阿久根の竹原氏はもちろん、例えば読売新聞Webサイトの発言小町や人生案内を見ていても考え方のおかしな人が増えたと感じる。逆に言えば、それは自分自身にも問われることである。そこで自戒の意味を込めて、いくつかの傾向パターンを整理しておきたい。

1.どちらとも受け取れる事象は自分に都合のよいようにだけ解釈する。(軽度)
これはある意味プラス思考であり、必ずしも全否定されるものではない。高校野球で先攻をとれば先制攻撃できると言い、後攻をとれば延長戦で有利と解釈するようなもの。テストの点数が良ければ「自分が頑張ったから」と分析し、点数が悪ければ「テストが難しかった」だけで終わらせるのもその例。しかし物事の交渉などで、お互いが自身に良いようにだけ解釈しておしまいにしていると、後でとんでもない軋轢(あつれき)を生むことになる。
特にうまく進んだと思う時ほど、複数の観点で客観的に物事を見つける習慣が必要である。

2.自分を正当化するために、直接関係がない事象を指摘する。(中程度)
例えばフリーマーケットで自分の子供が汚れた手で商品を触って怒られたとする。親が子供を擁護するために、フリーマーケットで商売をしていた人の服装が変だとか言葉遣いがおかしかったとか、自分の子供は有名幼稚園に通っているとかで理屈を組み立てるとおかしいと思わざるを得ない。
また、私の母の例で恐縮だが、自分の飼い犬が脱走してよその犬に飛びかかってしまった。しかし母はその犬も以前脱走して飛びかかられたことがある、だからお互い様だと。これは確かにそうかもしれないが、だからと言ってよその犬に飛びかかったことの非がなくなるわけではないことは当たり前の話。
つまり、それとこれとは話が別ということ。感情論だけで複数の異なる事象を混同することは避けたい。
阿久根帝国竹原氏が、違法性の高い専決処分を正当化するために、議会の欠陥をことさらに強調することもこの事例だろう。「議会が悪い」「法律が悪い」=「自分の違法行為が正しい」とはならない。正しくは、議会も悪い(かもしれない)が自分の違法行為はもっと悪いのである。
塾講師をしていた時、先輩の先生がある生徒に対して「人のせいにするなよ」と烈火のごとく叱責していたことを思い出した。中途半端な自己弁護はしないほうがマシなのである。というぐらい、人間として基本的なことであり、甘えることなく自己を律することができるようにしたい。

3.自分に都合のよい情報だけを取捨選択する。(中程度)
自分にとって都合のよい情報、悪い情報が混じっているときに、都合のよいものだけを強調する手法。これも全否定されるものではなく、うまく使えば商売上手になれる。家電量販店が11月末まではエコポイント半減を連呼し、今度は来年1月からより基準が厳しくなり買い替えに限られるからやっぱり今がチャンスと煽るのがその例。「エコポイントが半減しました。11月までに買ったほうがよかったのに。」ではいくら正直でも売り手として商売にならない。
一方、名古屋のリコール騒動では、署名集めの杜撰さがあった一方で、選管が厳しい基準で無効にした署名もあったとされる。このときリコールを支援する団体は、選管がすべて悪いかの如く主張することで自らの落ち度を覆い隠そうという意図が透けて見える。少数ながら署名偽造もあったと言い、これは少数であっても犯罪領域である。自分の失点を棚に上げて、選管の審査基準だけをやり玉に挙げるようでは、「おかしいぞ」と思われてしかるべき。
自分の失点は素直に認める、相手の落ち度は粛々と指摘する。ギブアンドテイク両方があってこそ、相手を動かすことに繋がることを認識しておきたい。

4.自分の主張から逆算して事象をでっちあげる。(重度)
上記3.までの手法をもってしても、例えば相手の無関係な落ち度すら見当たらなくなったらどうするか。ここからが重症領域になる。阿久根帝国竹原氏の例が挙げられる。
自分をリコールする団体は自分の改革を否定している。改革を否定するということは、減税やボーナス半減などの官民格差是正を否定している。ということは公務員・議員の味方で増税・公務員厚遇したいに違いない。ということはリコール団体は利権と癒着している、という具合にでっちあげる。まさに「妄想」の領域。
言うまでもなく、リコール団体が問題にしているのはまさしくそうした中傷行為で自分を正当化する手法であり、リーダーとしての資質のなさを問うているのである。リコール団体は改革はむしろ必要と訴え、議会とも一線を引くとしている。ここを見せたくがないために、事象をでっちあげて虚偽の事実で相手を叩くしか手段がなくなっているのである。
根も葉もない噂を立てることは名誉棄損に他ならない。それを自覚できないのは性格というよりもはや病的要因を疑わざるを得ないほどの重症である。
さらに重症化が進めば、でっちあげた事象の通りにならなければならないと考え、鹿児島県志布志市で発生した選挙違反のでっち上げや、昨今問題となった大阪地検によるフロッピー改竄へとエスカレートしていく。

4項目に整理してみたが、当然ながら「一般的な常識人」であれば心得ているだろうし、こういう行動をとったら社会の中では生活に必要な人間関係を築くことすら危うくなる。周囲とトラブルを起こしているような人を見かけたら、上記パターンにはまっているか考察してみるとよい。まあ、4.は極端にしても2.か3.までは心当たりのある人も多いのではなかろうか。筆者も含めて、このようなパターンに陥らないように戒めておきたい。

テーマ:社会問題 - ジャンル:ニュース

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