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地方自治:禁止ワードから脱却しよう
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阿久根・名古屋などで揺れ動く地方議会、二元代表制。混乱をもたらしたのは首長なのか議員たちなのか。それを問う前に、そもそも彼らを選んだのは我々住民に他ならないことも現実である。今回のテーマは「禁止ワード」。筆者が見聞きするうえでNGと考える住民の発言を通し、あるべき地方自治の姿を追求したい。

1.「○○さんなら何とかしてくれる」
これは阿久根の竹原市や、国政では民主党の小沢氏に対してよく聞かれる。強引なやり方でも停滞せずに進めてくれるカリスマ性や剛腕への期待感が表れた言葉であるが、間違いの根源が実はここにある。
この言葉は言い換えれば、「○○さんに良いも悪いもお任せします」ということであり、「私は興味がなく参加しません」とも言っているのと同じである。この希薄な参画意識がもたらすのは、A.間違った方向に進んでしまっても、きっと良いことをしてくれているに違いないと信じ続けて取り返しのつかないことになるか、B.結果が出なければ手のひらを返して叩き落とす、という結果である。いずれも、自身がその人を選択した責任感がみじんもなければ、次に活かすことにも何らつながらない。
混乱する国政に「坂本竜馬が登場するのを待つしかないな」という街頭インタビューが聞かれたが、自分たちで事態をよくすることを考えるでもなく、ただひたすらスーパーマンの登場を願うという、まさしくこのダメダメ残念な思考法の最たるものである。

2.「議会が何やってるか知らない」
これは、議会が議論の内容や採決の結果をどこまで積極的に公開しているのかという問題もはらむ。しかし、議会だよりを読んだり、自治体のホームページで確認したり、少なくともメディアで報道されている内容をチェックしていれば、それなりの情報が出てくるにもかかわらず、「知らない」と言って議会を批判し、リコールに突っ走る住民が多い。名古屋市なんかはまさしくそういう住民が何十万人もいるのではないか。
言うまでもなく、情報は口を開けて入れてもらうものではなく、自ら取りに行くべきものである。普段馴染みが少ない政治に対して関心を持つことは容易ではないが、ならば知らないものを単なる印象だけで批判すべきではない。小鳥が「えさはまだか」と口をパクパクさせながら、親鳥の帰りをお茶碗叩いて待っているような、与えられ民主主義から卒業すべきである。
こういう人は仕事の様子を全く見ずして「公務員は楽して高給をもらっている」だの、「議員は居眠りしながらたまに議会に来るだけで我々よりはるかに高い給料をもらっている」などと言い放つことが多い。確かにその批判が当てはまる人もいるだろう。が、いつまでもそういう見方を続けていると、真面目にコツコツやっている公務員や議員は、いくら努力しても報われず十把一絡げに叩かれるだけで馬鹿馬鹿しいと、やがて愛想を尽かすことになり、結果として公務員や議員のレベルはますます低下する負のスパイラルが待ち受けることになる。自分で自分の首を絞める状態。そして、大騒ぎしていたずらに混乱させた人が勝ち組になる世の中が出来上がる。愚衆政治ここに極まれり。

3.「どうせ今まで二元代表制は機能してなかったんでしょ」
これは既存政党を批判したり、従来型の権力政治からの脱却がねじ曲がったときに生まれる発想である。つまり、今まで駄目だったんだからその反対を選べば良い方向になるのではないかという安易な考え方である。
高度成長を続けていた時代は、首長と議員と土建屋がグルになって私利私欲に走ったとしても、庶民にプラスの配分があったため、大した問題にはならなかった面もある。現代は逆にマイナスの配分をお願いせざるを得ない状況の中で、自ら身を削る首長がもてはやされ、庶民のためと称する独裁が容認されつつある。そしてまた、その結果として何らかの実害を被るようになったら揺り戻しで再びその反対に流れると。問題は、リスクを承知して独裁でも良いと判断して選んだのではなく、単に現状の嫌なものを一掃して目先を変えたかっただけという点である。
現状を「過渡期」と評する人もいるが、何が均衡な状態か、つまりはあるべき姿を今一度よく考えて判断しないと、アンバランスな天秤が延々と何度も上がったり下がったりするだけで、いつまでたっても均衡な状態にならない。実はこれこそが究極の無駄である。

4.「これが民意だ」
これは、民意が絶対的に正しいという仮定に基づく考え方で、選挙に勝ったほうが多用する。
民意は、その地域の住民の多数派が判断した一つの結果であるが、それが全て正しいかの如く扱われるのはいかがなものか。世論も同様である。
民意がもし、世の中のありとあらゆることをバランスよく考えて判断されるものであることが保証されるのであれば、民意絶対主義もありえよう。が、上述のように民意というのは現実問題論理性に欠け、極めて感情的・情緒的なものに過ぎない。言い換えれば、世の中の善悪は、何が正しいとか法律はどうなってるとかではなく、住民の好き嫌いによってのみ決まるということである。こんな考え方がまかり通ると、法律やルールを守るかどうかも住民の趣味で決めてよいことになってしまう。これでは秩序のある世の中を作れるわけがなく、むしろ今の時代があと30年で崩壊する懸念さえ筆者は持っている。
世論や住民感情を意識した言動は求められて当然の面も確かにあるが、一方で民意が本当に正しいのか、というものの見方も我々は意識しておきたい。それは我々自身に反省と進歩を促すことであり、そして政治だけではなく、より良い将来につなげていくために必要なことでもある。
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テーマ:地方自治 - ジャンル:政治・経済

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