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改革派首長はあるべき姿を追求せよ
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 橋下知事、河村市長、そして阿久根帝国の竹原氏、それぞれが先鋭的な手法で「改革」に向けて取り組んでいるところであるが、そのアプローチは三者三様である。どのような違いがあるのか見ていくことにする。

 橋下大阪府知事は強いリーダーシップで府の改革に取り組み、緊急事態と言われていた府の赤字を黒字に転じさせた実績を持つ。人件費削減のために労組と徹夜で議論していた映像は印象深い。交渉事には必ず見返りを用意し、「これだけやってくれ、そしたらこちらもこうする」的なギブアンドテイクの手法は特徴である。
 「クソ教育委員会」「幼稚園児以下」等と言う表現は過激であり、弁護士の懲戒処分に逆ギレする様子はお世辞にも品があるとは言えない。しかし、橋下知事を是々非々で眺めた時、非の部分が総じて少ないとも言える。非常に合理的で、突き進むものは徹底的に、駄目なものはさっさと諦める姿勢は評価したい。それを判断するバランス感覚も持ち合わせている。
 一方で大阪都構想は府民に浸透している様子は見えず、賛否も分かれているようだ。この辺の是非はもう少し慎重に見極めていく必要がある。

 名古屋市の河村市長は元気のあるナゴヤを実現するために恒久減税を打ち出し、議員報酬半減も合わせて議会と対立し、市議会リコールを扇動している。
 恒久減税で市民に還元し、自らを含めて身を削る政治手法は市民受けし、リコール署名も活動後半にかけ9月後半の連休効果もあり署名数を伸ばした。だが、それで本当に名古屋が元気になるのかは疑問符がついたままだ。実際、減税は「何かよう分からんけどええこっちゃ」と低い次元で受け止める市民も多いと思われるし、その内容の欠陥についても議会から指摘されている。恒久減税を実現するための施策、つまりは財政スリム化や議員報酬半減を唱える前に、まず減税効果を市民に分かりやすく説明し理解してもらったうえで支持を判断してもらうべきではないか。
 議員報酬半減も然りで、半減すると約800万。この数字だけを見れば「まだ多い」という印象を持つ市民も多いだろうが、実際には事務所費等で手取りは僅かしか残らないという試算もある。河村市長は議会のボランティア化を推進しようとしているが、それがもたらす弊害も含めて検討したようには全く見えず市民にも「報酬が高い」以外何も伝わっていない。あるべき議員報酬の水準をきっちり議論し、市民も含めて議論を深めた上で、多いと判断される部分は堂々と下げればよいのである。
 あるべき姿と言うのは筆者が盛んに使っている言葉であるが、これを議論せずとりあえず身を削れ作戦では、必要なものまで削減し、削っても削っても延々と「多い」と言われ続けた挙句、なくなるまで減らすことになるリスクを背負う。あるべき水準に対してギャップがあって初めて問題と言えるのがプロセス改善活動の手順である。逆にビジョンのない改革は単なる破壊につながる危険がある。緊急事態ならいざ知らず、意義があるのか分からない減税のために有無を言わさず身を削れ的な論調は非常にまずいと感じる。
 また、市議会リコールには署名集めだけでなく、署名の審査や解職住民投票に4億5000万円もの費用がかかる。リコールしなくても来年4月には統一地方選があるので、リコールによって選挙は2カ月早まるだけなのである。片方の手で削減削減に目線が行きながら、片方の手では蛇口がダダ漏れではいったい何がしたいのか分からない。
 さらに名古屋版事業仕分け条例の不公布問題は、「議員による仕分けは越権行為」と可決の後から異を唱えたもので後出しじゃんけん反則も甚だしい。そもそも河村氏が財政のスリム化にリーダーシップを発揮していれば、議会側から事業仕分けを提案されることもなかった。議会に政治参加させたくないという意図がそこらかしこに見てとれる。つまり、議会の無力化、ボランティア化で骨抜きにしてしまうことこそが、河村市長の真の狙いではないかと思えてくる。二元代表制が現状うまく機能していないのは残念ながら事実としても、だからと言って議会を事実上骨抜きにしてしまえではなく、二元代表制をきっちり機能させることをゴールに置くことこそが真の改革ではないのか。
 まとめると施策に論理が通っていないのに、それを強引に通そうとする、趣味的自己満足型の「なんちゃって改革」レベルに自ら成り下がっている印象だ。

 さて、阿久根の竹原氏についてはこれまで多く取りあげてきたので改めて記述するまでもないが、最大の問題は、違法行為や脱法行為を故意に継続し、しかもそれを支持する住民がいることである。
 是々非々で臨むとした、専決処分で任命された「自称」副市長仙波氏も、明確な違法行為はNOと言いつつ、裁判の余地が残る脱法行為やグレーゾーンは容認する姿勢を見せている。コンプライアンスの意識が社会で高まっている中で、こんなお粗末で無法なやり方がまかり通ることに、筆者は驚きと怒りでいっぱいである。
 コンプライアンス、すなわち法令順守を重視する動きは10年ほど前から始まった。例の雪印による食中毒事件では、衛生管理のまずさや初期対応が問題視され、会社の存続をも脅かす事態となった。これまで何十年と積み重ねてきた信頼が、いとも簡単に崩れ去ってしまうのである。
 したがって、各企業はまず法令順守を最低限の行動規範と位置付け、社内教育はもちろん、社外に対してもコンプライアンス重視の姿勢を打ち出している。もちろんこれは最小限であって、もっと深めていけば、脱法行為やモラルに反する行為をも自ら律することが求められる。社会全体から信頼され、必要とされる企業体となることで、ひいては継続的な発展につなげることを目標とする。
 それがもし違法行為があり報道されると、法的な処罰を受けるだけでなく、企業イメージが低下し社会的信用を失う。結果、収益が急速に悪化し倒産に追い込まれる。そんな会社は今までもたくさんあったはずだ。
 じゃあグレーゾーンや脱法行為なら直ちに問題になることはないから良いじゃないかと言えばそれもNOである。市内では支持を集めたとしても、外部からは問題視され、グレーゾーンを悪用する懸念が生じれば、当然ながら政府は黙っておらず法改正される。数年後には今までの手法が通用しなくなり、たちまちにして行き詰まるのである。今般倒産した武富士なんかはその事例に該当しよう。
 まとめると、竹原氏の手法では仮に市民のためになっても数年もたないということになる。言い換えれば、結局そんなものは市民のためにはなっていないのである。
 そしてこれをも打破しようとするなら、県や国にクーデターやテロでも起こすしかなくなり、すなわち反社会的集団となる。違法行為を正当化し、議場占拠による業務妨害や議長への暴行を働いた市議たちを未だ応援している住民に対しては反社会的集団・犯罪者応援集団と呼ばざるを得ないし、テロリスト予備軍という見方をするしかない。

 「あり得ない」地方自治4要素をまとめると、
1.公約のための論理・議論を尽くさない。
2.議会を軽視し無駄に対立をあおる。
3.法律を軽視し、継続的に故意に違反する。
4.違法行為をも支持する住民がいる。
のうち、1又は2のみというのはあり得ないながらも今までも他の地域で起こっていたことかもしれない。論理的だが過激な橋下知事は2.のみに近いところか。
1+2の名古屋はあり得ないの2乗=地方自治として望ましくない事態。
1~4が全て該当する阿久根はあり得ないの4乗>地方自治としてあってはいけない事態。
と整理できる。

 首長が提案し、議会がチェックする二元代表制。確かに今まではなれ合いだったかもしれずうまく機能していなかったかもしれない。しかしこれが必要なのは相互チェックにより暴走を止める重要な役割を鑑みた制度であることを念頭に置き、それを正しく機能するように持っていく。難しいことではあるがこれを1歩2歩でも実現を目指して進めるこそ真の改革である。「どうせだめだから議会は潰してしまえ」的なビジョンなき改革ではなく破壊であり、次の世代には繋げない。大ナタを振るうことは時にはあっても良いかもしれないが、論理性を尽くすことと、あるべき姿を見失わないこと、改革派首長にはこれを肝に銘じていただきたい。

テーマ:地方自治 - ジャンル:政治・経済

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