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いじめ自殺予告への懸念
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 いじめによる自殺が後を絶たない。自殺したニュースを毎週聞くたびに、いじめに毅然とした対応ができていない学校、陰湿化するいじめに対して怒りを覚える。また同時に、これほど連鎖的に死を選んでしまうのは安易ではないのかと疑問も生じている。

 先週、文科省にいじめによるものと見られる自殺予告文が届いた。「事態が変わらなければ11日に学校で自殺する」と書かれてあり、”豊”がつく消印が押してあったという。文科省はこの手紙を公開した。
 最も有力と見られる東京都豊島区内の小学校では、10日深夜から明かりをカンカンとつけて警戒にあたっているらしい。
 まず、文科省の対応についてであるが、いろんな対応が考えられる中で、あえて手紙の公開を選んだ点。これは最善ではないかもしれないが、やむを得ないだろう。いじめ隠しを批判する文科省が隠していたのでは示しがつかないだろうし、もし本当に自殺を実行して非公開だったことが判明すれば、文科省への批判は免れまい。いじめ解決に向けて積極的な姿勢で手紙を公開したことの判断は評価したい。

 一方、手紙を出した生徒の方であるが、今の心境はどうだろうか。いじめられる苦しみは、周りが全て敵に見え、誰にも相談できず知らず知らずのうちに一人で抱え込んでしまうことが多い。
 私も中学時代にクラス中から陰湿ないじめに遭った経験がある。比較的成績が上位だった私が暴言を吐いて相手の心を傷つけたと言うこともあり、先生は完全に相手の肩を持ち、相手方の暴力や嫌がらせはもちろん、クラス全体による”制裁措置”でさえ容認する異様な事態となった。さらに先生は私に親に言わないよう口止めまでした。その上、連日続く嫌がらせに文句を言うと、「暴言を吐く癖が治っていない」とまで言われ、追い詰められた。
 問題は私が吐いた暴言だけがクローズアップされ、なぜそのような事態になったかの検証がほとんどなされなかった点である。それと、暴言を大義名分にしていじめが容認された点である。全体的に見て私が悪いと言う結論だったとしても、その後の制裁措置が容認されてしまうようなことは学校現場で許されるべきものではないし、ましてや口止めなど言語道断。単に先生が自らの指導力不足を隠したかっただけなのである。
 私は2年生になってようやくこのことを両親に打ち明け、制裁措置が許されるべきでないことに気づいた。それまでは「自分が原因を作ったのだから責任を取らねば」と嫌がらせを甘んじて受け、悩んでいた。

 もし、先生がダメなら親、校長、教委など上位階層へ、また、友人だけでなく塾の先生や親戚のおじさんなど、いろんな人の意見を聞けば、これほど悩む必要もなかったことにもっと早く気づいていただろう。

 とは言え、今回の自殺予告のように、いきなり文科省に”直訴”とはいかがなものだろうか。しかも、名前も住所もないのでは手の打ちようがないではないか。これがもし本当に悩んでいたとしても、自殺を考えるまでの思考ステップがあまりにも軽すぎないだろうか。

 懸念していた通り、自殺予告文が後日数通相次いで届いた。中には「まず相手を殺す」というご丁寧な殺人予告まであった。私は、厳しい言い方になるけれども、これはまず殺人予告として厳正に対処すべきではないか。過去には、運動会をやったら死ぬとか、テストを止めてとか、自分の命を質にとって「業務妨害」したものがあったと聞く。自殺すると書けば、後は何を要求してもかまわない風潮があるとすれば、非常に危険である。命を大切にしなければならないという観点で、こうした非常識な手紙にもエールを送る。分からないではないが、時には毅然とした厳しい対応も必要になると思う。

 時代は変わり、親による子への虐待が頻発しているが、それでも親は子の最大の味方に変わりはない。本人に代わって学校と戦ってもくれることもある。私は、一人で抱え込んで自殺を考えるくらいなら、まずは親に思い切って相談することを勧めたい。よほどでない限り、救ってくれるはずである。

P.S.このブログは、今後は週1回のペースで投稿していきます(ただし特別編成時は別途)。

テーマ:いじめ - ジャンル:学校・教育

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