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未履修問題、”私学の独自性”に疑問
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弊サイトで何度も取り上げてきた未履修問題(別名、「履修漏れ」とも「必修逃れ」とも言われる)。
隠蔽を続けていると噂されていた神奈川県の桐蔭学園。最近になってとうとう大規模な未履修が発覚した。3月末に発覚する最悪シナリオを免れただけ幸いしたと言うべきだろう。
他校の事例を見ていると、単位の勝手な読み替えが横行していた模様だ。北海道の私立高校で聖書を世界史として扱っていた。「聖書、宗教の歴史を学ぶ上で、古代から近現代までの世界の歴史的背景を理解しなければならない」と学校側は話す。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/20061108wm00.htm
かなり変な解釈であるが、欧米の部分はカバーできていると考えられなくもない。ただ、アジア史は確実に抜け落ちていることだろう。

さらに、毎週行っている座禅で家庭基礎を履修していたことにしていた事例もある。しかもこちらは家庭基礎2単位のうち1単位は認められた(残る1単位が未履修)。一部とは言え単位が認められたのは疑問である。座禅の要素が家庭基礎のカリキュラムのどの部分に該当するのか、きちんと説明してもらいたいものである。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20061201ur03.htm

そして、こうした私立学校は口を揃えて、「私学の自主性、校長の裁量の範囲内と認識していた。未履修はない」と称して当初隠蔽を繰り返していたのだ。全国私学教育研究集会東京大会では、必修逃れを指摘する文部科学省について「魔女狩りのようだ」と評し、改めて、私学の独自性が重要であることを強調している。

私はもちろん私学の独自性を否定するものではない。しかし、それは高等教育として必須である必修科目をきちんと履修した上で、それに上積みする形で行うのが当然ではないか。
例えば、家庭科と言っても料理と裁縫だけではない。家庭総合のカリキュラムを見ると、衣食住全般に渡って生活に欠かせない重要な内容が盛り込まれており、高等教育として必須であることは納得できる。情報も然りである。

必修科目を放棄して私学の独自性を唱えるのであれば、それは大いに結構であるが、それは高等学校の看板を外してからにしていただきたい。専修学校や塾になっていただいて、大検からスタートしていただこうではないか。
問題の私立学校は、高卒の資格を与えて社会に送り出すだけの責任を認識しているのだろうか。大学受験+私学の独自教育だけで高校が成り立っているとするのは大きな間違いだ。

現行の必修科目が妥当なものなのか、これも議論の余地はあろう。しかし、今必修科目が未履修だから必修科目を見直すべきなどと論じても全く説得力はない。ルール破りの状態だからルールを変えようと言うのでは、教育機関としての資格はない。

そして、履修漏れ問題は未だに終わっていないことを最後に訴えておく。東京都教委では、理科総合に物理1など他の理系科目を教えていても未履修には当たらないとの見解を示しているが、他府県では確実にNGのところもある。
履修漏れが「あった」「なかった」だけで終わるならたいした問題ではなかろう。でも、履修漏れ=補習のペナルティなのである。こんなグレーゾーンが存在してええ加減な解釈に振り回されるのでは、生徒があまりに気の毒である。文科省が先頭に立って早急にきちんと見解を示してもらいたい。

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弊サイトは11月以降、週1回ペースでお送りしてきましたが、私の運営する他サイトを含めた全般的な見直しを行いました結果、弊サイトはしばらく定期的な更新を休止し、話題があるときのみ、不定期での更新とさせていただきます。楽しみにしていただいている方にはすみませんが、よろしくお願いいたします。
P.S.カラオケで未履修問題の替え歌を思い浮かべながら「鼻から牛乳」を歌ってきました(笑)。

テーマ:必修科目履修漏れ - ジャンル:学校・教育

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