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英語学習の目的を考え直そう
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小学校での英語必修化を巡って議論が過熱している。

これまでも多くの小学校で、総合の時間などを使って英語活動が盛んに行われていた。しかし、その実態は、中学校英語への橋渡しであり、英語に親しむと言うことに重点を置いているが故に、ともすれば”歌って踊ってゲームする”だけでよしとされてきた感が否めない。小学生だからもちろん楽しむ要素を取り入れるのは良いことであるが、具体的な到達目標がなく、結局中学に入るとアルファベットから勉強しなおしであった。これではあまりにもったいない。英語”教育”という形に強化していくと言う流れは自然である。

しかしこれには慎重論もある。十分な国語力を身につけるべきという意見が根強いのである。確かに日本語能力以上に英語が身につくとは到底思えないからである。

ここで賛成派も反対派も再度よく考えてみたい。何のために英語を勉強するのか、そして今の英語教育のどこに問題があるのか。この認識がずれると、かみ合った議論はできる訳がない。

英語と言うのは、外国人とコミュニケーションをとるための最強のツールである。英語はアメリカ・イギリス・オーストラリアなど英語圏はもちろん、韓国・インドなどアジア圏などでも広く話されている。つまり、お互いの母国語を知らなくても英語を勉強している非ネイティブの外国人と、英語を介して意思疎通できるのである。そして、海外に出かけたときだけでなく、日本にいるときでさえもグローバル化している今は外国人と接する機会が多くある。その意味で英語の必要性が高まっているのだ。

そのとき、自分の意思・気持ちをいかに英語で伝えるか、そして相手の気持ちを知ることができるかが大事である。目的は英語を学ぶことではなく、外国人と意思疎通するスキルを身につけることであり、英語はその有効な手段なのである。
その中で、もちろん英語と日本語が相互翻訳できればよいと言うものではなく、文化や考え方の違いをしっかり理解した上で、相手を尊重する考えを伴わなければならない。

では、現在の英語教育は何が問題なのか。中学では高校受験を意識し、高校では大学受験を意識し、大学では単位をとることだけにこだわり、そして小学校では歌って踊ってゲームなのである。どのステージでも外国人とコミュニケーションする力をつけることを十分意識できていないことが問題ではないのか。
そこをトータルで見直さない限り、英語教育をやみくもに低年齢化しただけでは効果は薄いだろう。
ただ、その上で何が適切かを考えたとき、中学校で英語圏の小学校低学年レベルの英語から習っていたのではお粗末。小学校高学年におろしてきても十分理解可能と考える。また、最終的に必要な語彙数を考慮すると、高校段階でひたすら詰め込むよりも、小学段階から最低限の単語力を身につけておいたほうが良いだろう。

もちろん国語力が必要という考えには同意するが、だからと言って英語が不要とは思えない。実は国語も英語も両方必要であり、現実両方足りていないのである。国語なのか英語なのか2者択一のような短絡的議論を避け、全体としてどうあるべきかを考えるようにしたい。

テーマ: 英語・英会話学習 - ジャンル:学校・教育

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