日頃考えていることを独自の視点でズバリ本音で斬る!ブログです。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
阿久根「竹原帝国」3
100104.jpg
竹原氏を支持する人の弁をニュースなどでいろいろ見てきたが、「公務員改革が進んでいる」などと表面的に評価しただけのものが多い。首長としてあるべき姿、そして何よりも竹原市が目指す世界観を理解し腹に落として支持する人は皆無と言ってよい。我々が人を見る目を養い、レベルを上げていくことも必要だ。

その意味で今回は、竹原氏のどのような言動がどのように問題なのかを、1~2月のブログを通し、具体的に分析していくことにする。ブログ「竹原至上主義」じゃなかった、「住民至上主義」では課長会の訓示や防災放送の内容などオフィシャルなものから私見までを、良くも悪くも全部公開しているので、人となりを見るのに適しているのである。

1.気に入らなければ切り捨てる
「能力の低い職員は処分を検討する」とあるが、悪いものを削除するのがリーダーの仕事ではなく、悪いものを良いものに変えていくのがあるべき姿だ。
消防出初式で敬礼時にそっぽを向いていた職員がいたとして、「腐った根性は直さなくてもよろしい。性根は変わらないものとして取り扱わせていただきます」と皮肉っている。この程度で腹を立てるのは大人げないというのは置いといたとして、性根が悪いと思うなら性根を変えて見せるべきところ、さじを投げるとはこの時点で首長失格に値する。気に入らない職員は切り捨てたところで解決にならないのは言うまでもない。そのうち「そして誰もいなくなった」という裸の王様になる。
「高度医療が障害者を生き残らせている」という問題の内容も、講演で述べた「枯れ枝を刈る」も、世の中に不要なものは切り捨てるという発想から来ている。

2.人の心を平気で傷つける
街宣車が騒音を発し、批判内容に嘘があるとして、右翼団体の構成員を「大半が在日、同和」と記述しているが、例えば在日韓国・朝鮮人の中で真面目に暮らしている人に対して失礼極まりない。首長だけでなく社会人失格である。団体が批判している内容の中で当てはまらないことについては反論し、騒音という手段では市民や職員にも迷惑がかかるということは言っても良いだろうが、「日本の経済、外交、政治は同和と在日に乗っ取られているのかもしれない」とまで根拠なく書くのは論外。
自分の言動で受け手がどう思うのか考えて行動することは人間の基本である。”毒舌”は人を楽しませる分には有益に作用するが、受け手が傷つけばただの暴言に変わる。嫌な思いをする応酬ばかりを繰り返しては、悲しい思いをする人が増えるだけで、良い世の中が生み出されないというのが先人達が得た教訓であり、今日が存在する。正義のためなら人を傷つけてもかまわない、それを指摘するのは言葉狩りでタブー視するのは誤りとするのは、自己中心的にも程がある。

3.自分に都合のよいマスコミとの接し方
自分に都合の悪い新聞社の取材を一切拒否している。確かにマスコミは真実を報道せず歪曲して伝えることがあるので、もしそのようなことがあれば毅然として誤りを正せばよい。それを通してマスコミに正しい報道をさせ、上手に利用することもできるのだが、竹原氏はこの努力を怠り排除しただけである。これでは何ら問題の解決になっていない。
一方、自身が推し進めるヨコミネ式教育の考えを浸透させるため、教育の内容を取り上げた「エチカの鏡」を視聴するよう、ご丁寧に防災無線まで使って住民に宣伝している。自分の都合に悪いものは徹底排除、都合のよいものだけメディアを利用するとは、まさしく「阿久根竹原帝国」による情報統制である。
明らかな間違いは毅然と正しつつ、自分が本当に反省すべきは反省し次に生かす。マスコミとの距離の取り方を勉強すべきだ。
ただ一つ言わしてもらうと、いくらマスコミが偏向報道であると批判しても、自分のブログに書いている内容はごまかしがきかないのだが…。

4.格言や名言集の良いとこどり
竹原氏を批判するブログなどに目を通すと、「宗教の良いとこどり」みたいな書かれ方をしているのを目にする。言い換えれば、何か深く信心しているのかと思えばそうではない、格言や偉人の名言集を自分の都合のよいときだけ引用するのである。難解な言葉を交えてずらずらと書くものだから、多くの人はここで「良いこと言うじゃないか」と錯覚に陥る。戦時中、戦意高揚のためむやみに難解な漢字を多用したのと同様である。
ガンジーの名言集を引用し、「たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。」と書いている。これは竹原氏の周囲が敵であっても、”真実”は竹原氏であり正しいことの一つの裏付けになることを狙いとしていると推察される。

5.「だから何なの」がすっぽり抜け落ちる
これもリーダー、首長として適性に欠ける。うじゃうじゃとウンチクを並べたとしても「だからどうすればよいのか」「結局何が言いたいのか」分からない。だからこそ、その内容が誤解を招き、波紋を呼ぶ。そして支持派と反対派がお互いに”想像”で真意を解釈して、不毛な議論が展開されているのである。
課長会の訓示で「次の世代をより良い社会を作ることを本当の努力と言うべきだと思うんです」と述べ、そのためには「社会の中で私たちが評価される存在である必要はない」と訓示を締めている。良いこと言うじゃないかと思った人はもう少しスキルを上げていただきたい。
結局だからどうしたら良いのか、何をどう変えたらよいのか、さっぱり伝わってこなかったというのが聞いていた人の感想ではないか。
職員の給与を全部公開して、給与水準が異常に高いことを知らしめる。この問題提起は良いことかもしれないが、「公務員の給与水準はどうあることが妥当なのか」という肝心なビジョンが見えない。昨年末には、定期昇給が突然凍結された。年収700万以上の職員はそれで仕方ないかもしれない。しかし、これから能力がぐんと向上してどんどん給与水準が上がっていくべき若手の給与まで据え置かれた。これが第1弾の施策と位置付ければ、「苦労の底辺を共有する」と一貫して持論を述べているだけに、将来的には食うや食わずまで下げられて退職金はなしも同然ということもあり得る。そんな心配をしなくて済むためにも、給与水準がどうあるべきかの議論をきっちりして、納得性を高めたうえで体系整備していくべきである。
これは非常に大事なことで、これが不明瞭だと、「次に何の施策をするか戦々恐々」となる中で職員のモチベーションが下がり、良い結果をもたらさない”二次災害”にまで発展し、またそれを能力がないとして切り捨てる悪循環に陥る。

6.論理展開に無理が生じる
同じく課長会の訓示、「仕事が社会のためにならないと考える場合は連絡したり、相談したりしなければならない。それをしないで進めることは社会に対する背任、背信行為だと思います」と最初に述べた。これ自体は素晴らしい内容である。本当にそうなら、この続きは「だから、皆さんが日ごろおかしいと感じることは、上長や私に相談してください。そうやっておかしいところを少しずつでも変えていきましょう」と展開するのが自然であり、これなら良い方向に変わっていけることが期待できる。
しかし、竹原氏の訓示の続きは「それはどういう健全さかと言うと、言い訳が出来る組織ということではないですよ」「今までの前例に従ってすることが為にならんとするならば、そこを変えなければいけない」である。
これはつまり竹原氏が推し進める施策に対して異議を唱えることは”言い訳”であることを意味し、最初に書いた連絡・相談の推奨と相反する展開である。このように、どこかの名言集の良いとこどりをすると、論理展開に無理が生じる。我々は表面的な内容だけで納得せず、ここを見逃してはならない。

7.自分の行いを悪く言われて結構と開き直る
週刊スパに掲載されたというひろゆき氏との対談。化学反応とか大げさなこと書いているが、内容はひろゆき氏が竹原氏にインタビューする形式になっている。終わりにひろゆき氏の感想として「偽悪的なところがもったいない」と指摘している。自分が悪者になってでも世の中を改革すると意気込むのは良いが、それがかえって逆効果になり物事が前に進まないことを懸念しているのである。まあ、竹原氏自身がブログで取り上げる週刊スパだから、記事の最後には「改革に期待します」という言葉で結ばれてはいたが…。
そして、その最たるものが竹原氏執筆による本の出版である。本の出版が問題ではなくて、その題名に驚くことなかれ。その名もなんと「独裁者」。すなわち、「世の中を変えるには、独裁者と呼ばれて大いに結構」という具合である。

まとめとして最後に捨て台詞で終わりたいところだが、あきれ果てて言葉も出ないわ。そこを何とかひねり出すと、この有様で少数でも支持者がいる時点で世も末かなと。

テーマ:考えさせるニュース - ジャンル:ニュース

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。