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ネット右翼・考(3)なぜか北朝鮮支持!?
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ネット右翼の心情変化を読み解くため、とある中高生の日記を分析しているシリーズ第3回。

2004年秋、拉致被害者の遺品・遺骨とされる物品が北朝鮮から日本側に渡された。しかし、死亡を信じない被害者家族は当然の如く反発している。

日記では物品が渡されたことについて、「将軍様のやさしさがこもっている」と持ち上げ、一方で批判を強め経済制裁を求める被害者家族の声を「犯行声明」と中傷している。
また、北朝鮮がここまで歩み寄ったのは「小泉首相の気の長さと努力」によるものだとし、経済制裁は「希望の筋を闇に変える」として大反対して、気長に待つことを主張している。
さらに、日本が戦時中に行ってきたアジア諸国への侵略行為にも触れ、「憎しみは簡単には消えない」と反日感情が残存することにも理解を示している。この部分はネット右翼の一般的な発想とは逆だ。

さて、なぜかくも北朝鮮を持ち上げるのか?理解に苦しむところが正直なところである。
あえて要因を見出すとすれば、まずは反米感情が背景にあるだろう。石油の利権を目当てにイラク攻撃を繰り返す米国への怒りをあらわにしている中で、米国とは対極的な立場にある北朝鮮には親しみが沸くと言うところだろうか。
もう一つは小泉首相への支持が挙げられる。拉致問題の前進は小泉首相の外交努力と評価した結果、それを否定するかのような拉致被害者家族の言動は許せない気持ちになった、と言うことかもしれない。

これらの主張において、北朝鮮に対し”お日さま外交”で融和を図り、解決に導く手法を唱えるのは間違いではない。しかし、拉致被害者の家族の気持ち、子どもと突然引き裂かれて何十年と会えない親の気持ちを全く無視して「自分たちの要求が全て通るとしか思ってないだろ」と言い放ち、「バカ叫び」とまで中傷しているのである。北朝鮮の立場を考えるのは良いが、だからと言って被害者家族の感情を置き去りにして良いわけがない。両方の立場や気持ち・考え方に配慮しつつ、バランス感覚のある対応が必要なのだ。どちらかが悪くてどちらかが全く悪くないと決めてしまう、この”バランス感覚”の無さが、ネット右翼と呼ばれる人たちの大きな欠陥と言えるように思われる。

テーマ:中朝韓ニュース - ジャンル:ニュース

ネット右翼・考(2)痛烈な米国批判
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ネット右翼の心情変化を読み解くため、前回に続き、とある中高生の日記を分析している。

9月11日。2001年に米国で発生したショッキングな同時多発テロ。彼はこれを、「憎き米帝が大損害をした、すばらしい記念日」と表現している。米国がイラク戦争で行っている残虐な行為、その背景には石油の利権があるのではないかとして、「このような行為を延々と続ける米国に対して、怒りが爆発するのは当然」とし、自爆テロと言う最終手段で訴えるのは”合法”としている。

これは、世界史を通して考察が必要かもしれないが、まず米国がテロ国家の他国に対して戦争を堂々と正当化することに対する議論である。この部分は私もアメリカのやり方に疑問を持つことも少なくなく、「人間としての価値はアメリカが上。野蛮な国家を直す責務がある」と身勝手な解釈がアメリカ発展当時からあったように感じられる。

しかし、だからと言って自爆テロと言う形で無差別に無実の人を殺害する考えが容認されて良いはずもない。被害者が赤の他人だから「喜ばしい」旨を表現しているのだろうが、これが自分の家族を、そして自分を巻き添えにされたら…、その想像力に欠けているようだ。自分を大切に、家族を、友人を大切に思う気持ちがあれば、極端な自己犠牲の精神(お国のために死んでも良い)や、テロがあっても当然、という考えは出てこないのではなかろうか。

テーマ:考えさせるニュース - ジャンル:ニュース

ネット右翼・考(1)
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田母神氏の論文を盲目的に支持する、厚生次官殺傷事件では容疑者を英雄扱い、都合の悪いことはマスコミの策略とねつ造のせいにする、麻生政権には嫌気をさしているが民主党はもっと嫌。

これらは、ネット右翼と呼ばれる人たちに見られる傾向である。何も考えずにノンビリ過ごして雰囲気に流されているだけの大多数の国民に比べると、実は世の中のことを真剣に考えている面がある。しかし、私が問題視するのは、これらの言動の特徴として、(1)規範意識に欠け、物事は自分中心で回るものと考え、相手に対する思いやりがない。(2)何か気に入らないことはすべて他人に責任転嫁し攻撃的で、自らを省みることはない。という点である。こうした人たちが、ネット右翼という形で、自らの心の中に救いを求め、少し異常に折り曲がった形で自己を確立していると思うのである。そしてまた、皮肉なことに、平和な世の中が何十年も続いていることが、こうした人間を生み出しやすい環境になっているのではないかとも思ってしまう。

とは言え、それを批判するだけなら簡単な話で、私は、そうした人たちがどのような人格形成の中でネット右翼に傾注していくのか、その心理的な動きを研究してみたくなった。そこで、ある中高生の日記を読み解くことで、その思想を考察していこうと思う。
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